9月11日開催サイエンストークス・バー with 岸輝雄氏~日本の科学技術政策の課題(3)参加者からのQ&A

9月11日開催サイエンストークス・バー with 岸輝雄氏~日本の科学技術政策の課題(3)参加者からのQ&A


2014年9月10日に「緊急企画!サイエンストークス・バー with 岸輝雄氏(元・理化学研究所 改革委員会委員長)~日本の科学技術政策の課題~」を開催いたしました。ゲストには研究者・マネジメントとしての立場から科学技術政策に長く関わり、また理化学研究所の研究不正再発防止のための改革委員会の委員長も務めた、新構造材料技術研究組合、理事長の岸輝雄氏を迎えました。モデレーターは政策研究大学院大学の小山田和仁氏。日本の科学技術政策の話を中心に、研究者の人材育成やキャリアから、研究開発費や研究不正まで、日本が抱える問題点について様々な視点からお話頂きました。

Q&Aセッションの時間

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質問者Aさん
機能研究、アメリカの大学院、日本の研究職の3つを見ていて、インフラがものすごく弱い、という印象です。特にIT系のインフラが非常に弱くて、したがってファンディングの効率が非常にわるいなと思います。つまり、インフラとして作っておくとですね、次の研究プロジェクトを軽々とあるいは、少ない予算で動けるはずなのに、プロジェクトをやると、一生懸命、インフラのところに人とお金を費やしていますが、研究補助者の層があまりにも薄いです。あれも、人数で数えているんですが、設備面を見たときには、やっぱり、あれと同じことがでてくるんですよね。その結果として、どうしても1本の研究プロジェクトの金額が大きくならざるを得なくなっているようにみえます。インフラがあれば3,000万でできるところが、インフラがないから5,000万から6,000万になってしまいます。そうなると、やはり実績のない若い研究者には、大きい研究資金は出せないですよね。ところが、1個のプロジェクトの単位を小さくすると若い人にもっとチャンスを与えられて、大胆に動かせるとは思いますが。それが若い研究者を育てていくことにもつながるかな?と先生の話を伺って漠然と考えたのすですが、いかがでしょうか?
 人的およびサポーティングシステムは大きな課題ですよね。例えば、総合科学技術会議で本当に大きなインフラであるビックサイエンスとはまた違うのですが、Spring-8とか、コンピューターをどうするかという議論はその外側でおこなわれてしまう。だから、日本の中で総合科学技術会議が扱う範囲は、全予算の3分の1です。そういうこともあるかと思います。
日本人は自分で抱えたがります。物質材料研究機構(NIMS)にいたとき、外部評価委員会をやって、ものすごく言われたのが、スタンフォードは電子顕微鏡のセンターがあります。そこに4~5台の電顕がある。NIMSはなぜ33台もあるのかといいます。本当に印象的だったのです。NIMSの場合は、1つにまとめていない。いいオペレーターがいないので、全部点在しています。まとめると、ものすごくお金がかかります。日本中全体に、そのような物をまとめて共用設備を使うという精神が非常に欠けています。
ただ、文科省は2000年から結構努力はしています。ナノテクノロジーのファンダリーや、電顕のファンダリー、先端機器センターなど、作ろうとしているけれど、諸外国に比べてかなり遅れているのは事実だと思います。
それから次はテクニシャンですね。これもほとんどいなくなりました。私がいたNIMSの前身の研究所は、1対1で出発しました。テクニシャンと研究所は。今は、だいたい5対1くらい。ですから、やっぱり余っている研究者がいると、まず採っちゃうわけです。それでずっと、政策として研究者が増えてテクニシャンがいない状態で。ただ、同じ状態が、ドイツでも起きました。私がドイツに2年ほどいましたが、その頃は研究者1人当たり2人ほどテクニシャンがいましたが、今は1人きってますね。研究所もマイスタ―制度は完全に崩壊したといわれています。どうしても世界的にも起こりますが、本当の意味でのインフラ整備とそれを強要するようなシステムをつくるということを日本では意識がありますが、非常に遅れているのは事実だと思うので、重要なご指摘だと思います。
本当はインフラがあれば、何百万かのお金があれば、皆、研究できますよね、皆あっち行って、こっち行って。それが非常に少ないのが日本の研究者の世界になってきています。
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質問者Bさん
今日のお話で全体で多分、いわゆる政策担当者、財務省の方たちがどれだけ科学技術政策をそれなりに皆が合意を持っているものにするのかというのがおそらく重要だと思います。今、研究者が何を言おうと、やはり財政の方の問題があります。ポスドクでもポスドクの経験もない人間がポスドクの政策をつくる。あるいは、過去10年間以上の日本の論文の発信力が落ちているというのは日本だけの問題で、ということは日本の科学技術政策が間違っているという完全な証拠ですね。だけど、誰もそれを大きな声で批判もしないし、それに対して責任も取ろうとしない。例えば、我々からみて、学術会議というのは傍から見ると中の人たちは一生懸命やっているかもしれませんが、あれはあくまでも利益代行者である取得権者、いわゆる教授連中のための身分を保障するためというようにしか見えません。そのあたりはどうお考えでしょうか?
 今日あまり聞かれたわけではありませんが、科学技術政策ってもっとシンプルに考えましょうよというのは最初に言ったと思います。それは何かというと、ここで第5次科学技術政策を作ってしまうというのは本当は大賛成です。非常に面白いと思います。そのようなことがどんどん、草の根的にでてくると総合科学技術会議が一生懸命難しくつくるのに対応してくなという期待もあることはあります。
ただ、今のご質問ですが、総合的に言うとやはり国民の度合い、民度みたいなものがこの西洋科学技術を推進してきた各国が国有の制度をつくり上げたものに残念ながらまだ少し追いついていないんだという気がします。ですから大蔵省の頭をポンと叩いたり、内閣府を叩いたり、文科省を叩いても部分的には凹んでも、出てくるものは、またキュッとあがってくるという例の状況が続いてしまうんです。
ですから、そうすると時々悲観的になって、1995年の第1次科学技術基本計画にえらく従事しました。その頃から見ると、本当に良くなってるのかな、なんて反省もしていますけれど。やはり国民意識みたいなものが、全体が上がってこないと結局動かないな、という気がして少し悲観的になったりすることもあります。それだと、やはりまずいので、1つひとつ積み重ねて少しずつ良くしようというしかありません。
例えば、先ほどのご質問のインフラ、これはインフラの整備を独立行政法人にもう少しプラットフォームをつくれと今、総合科学技術会議が頻りに言いだしましたね。
そうやって、一つひとつ何とか持ち上げていかないといけませんが、予算全体も大蔵省だけでは決まりません。政治家を入れて全体の問題で。特に日本は教育の予算が少ない。そこも込みにして考えていかないといけないなという気がしています。ですから、もうどこかというより草の根的に皆でつくり上げていく以外、長期的には難しいので、5年や10年であっという間に何かができるという幻想は、だいたいの人は抱けません。
それともうひとつ。本当に日本にはお金がないんですよね。これどうするのかという大問題があるかとは思います。
そういうわけで、あまり悲観的にならないように十分頑張っているんだと思いつつ、整合性をどうとるかという、難しい時期にきているといます。もうひとつ大きいのが、大学のランキング。これだけコンスタントに東京大学のランキングが平均毎年一つずつ落ちていってます。これを一体どうするのかといっても、東大の総長もキョトンしていますし、あまり急激に変化が起きない限り、誰も責任を感じないというのが今の状況かもしれませんね。
質問者Cさん
先ほど、先生、国民の民度が追い付いていないなど国民の意識の話をされましたが、ただ上から目線で科学技術こうだといっても多分、共感は得られないと思います。さっきも社会に不可欠な研究開発など、社会側の視点を持っていると思いますが、社会とうまく対話していくというか共感をするとか、どのようにやっていったらいいかなどどのようにお考えでしょうか。
 悲観的に考えるのはあまり好きでもないのですけれど、悲観的にいうのではなくて、社会のための科学というのは、国連はじめ皆いわれているわけです。それから、日本学術会議も同じことを一生懸命繰り返して言っております。社会とのインターフェイスで一番大事なのは、ある意味ではメディアなんですね。メディアも本当にそこのところを配慮したレベルにあるのかというのが大きな問題ですよね。
総合的に考えると国民全体のレベルに合った政府であり、レベルに合った科学技術である。また悲観的な言い方になってしまうんですけれども、そこをやはり強引にいくつか輪切りをして、進んでいかないと、非常に危ない状況になっていますね。そのときの視点が、経済からだけどう見ていくのかというのと、本当に基礎科学の面から見ていくというのは、全く衝突点がないんですよ。
学術会議にいけたら、基礎研究が大事だというだけで終わってしまうようなところがあって。先ほどご批判もありましたけれどね。ただ、今度、学術会議側になると、私がいた10年前は、15億円の予算が、今は10億円切れてしまいました。それで職員の数は同じですから、活動費というのは本当はゼロです。
日本の大問題はアカデミアが弱い科学技術で、それは1つの大きな課題であり、それに日本にはきちんとしたジャーナルがないんです。学会のジャーナルは軒並みインパクトファクター1を切るという惨状ですね。その裏返しでNatureの病気みたいのは起きてくる、という意味で、問題は本当にたくさん重なっています。それをどう一つひとつ読み説いてやっていくかということと、本当に経済を良くするためのイノベーションをどう考えるのか、ということで、今、総合科学技術会議は科学技術「・(ポツ)」イノベーションに変えたんですけれど、その融合がこれから始まるかどうかなんですね。
ただ、総合科学技術会議が95年から2005年は基礎研究を推進でしたが、2005年くらいからイノベーションに移りました。結構それで苦労しているなという気がしています。ですから、どこまでイノベーションといって効果がでてくるのかも大いなる疑問はありますね。でも、ご質問は、社会とのインターフェイスという感じのご質問ですけど、1つひとつ地道に積み上げていく以外しかない。
新聞の記事、これは難しいですね。僕ぐらいだと自分の分野の新聞の記事はあまりにも易しく書きすぎだと思うし、他の分野であるライフサイエンスを読むとわからないんですよね。皆、苦労しているのではないかと思いますね。ですから、やっぱり専門家でない人でも分かるような本当の記事をもう少し上手く書くというのは一体、何なのかなといつも考えいます。大事なご指摘ですね。
アカデミアの地位が低い、学術会議、ここは大問題。ジャーナルがない先進国はおそらく日本だけですね。そのような意味では問題はたくさんあるという言い方はできますね。
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質問者Dさん

今回特に倫理、理研の倫理の問題ということで、色々な形で厳しい報告書が出てきたかと思います。理研で結局、CDBの問題もそうですが、あのような組織になったとき、誰が何を守らなければならないのかというその部分が結局いつも最後の最後まで不明確なままになってしまって、そして、あのような結果に終わってしまったのではないかと思うんですね。
結局、あのような事って、どこの研究所でも大学でも起こるはずなのですが、その際に何を明確にして何から何を守るのかということをきちんと決めて動いたのかなと。その部分が非常に疑問で。私は前に研究所にいたとき、広報の担当をしていましたが広報のやることは何かというと、研究の成果を広く、わかりやすくすることって大事ですが、研究所を守るといのが一番重要なので、その部分が一番欠落していたのかなと思います。その理研の今回の対応について先生はどのような感じに思われますか?
 まず、今回の報告書は前文はあまり厳しくないんですよね。最低限なんです。そこは、十分配慮したつもりなんですけど、刺激を与えたのは解体とかいってしまったので。そして、今度は解体しないけど、全部こちらがいうようにやりますよといって改革をするというので、そのような意味ではいい意味の別にでうちをしたわけではないですけれどねとなっているので、過剰に解体が伝わったから、一見厳しいようにみえると。でもモラルの最低限を述べただけの書き物だと私は思ってます。多分読んだ人は「なんであんなに厳しいことを言うんだ」って思うかもしれません。あれは全然厳しくないです。ですから、そのあたり一つご理解いただいたいということですね。
それから何を守るべきかというのは、守り過ぎようとして、広報が失敗したのが今度の原点ですね。特定独立行政法人も意識したのかどうかははっきりしませんが、最初の広報がやはり少々ヘマをしてしまって、その後、2週間STAP細胞はあります、と不用意に発言してしまって。それがずっと尾を引いて、それからあまりにも早く調査委員会が結論を出しすぎましたよね。これも特定独立行政で政治家に煽られた面があるんですね。我々が改革委員会を引き受けたとき、本当は調査委員会が終わって、自己点検委員会が終わってその報告書を見て、改革委員会をやろうということになっていたのですが、3つ一緒に立ちあがってしまったんですよ。そして、そっちの報告がいつまでたっても出てこないんですね。出てこないどころか、改革委員会の間に変なことがいっぱい起きるんですよね。そのようなことが一緒になってしまったので、恰好の失態を演じてしまったというところだと思います。
本来、ミスコンダクトで個人の問題で組織が責任を取るというのはあまりありません。世界的に。そんなこと、誰でも分かります。ただですね、難しいのは大学という所は、皆が、誰かが悪いことしたら、教授が辞めれば終わります。研究所はそこが不明です。課長で終わるのか、部長で終わるのか、理事なのかがですね、はっきりしていませんね。これは、大学は、良くも悪くも学問の自治で教授レベルで責任をもつ体制がみなできているますが。国の研究機関、自分もいましたけれど、はっきりしてませんね。
そうすると一番上の理事長までいってしまうのかという、非常にそこは責任を取る範囲と、責任の今の取り方ですね。その難しさが研究所にもあります。大学は明確です。教授で全部終わるんですからね。だから、大学にいて教授やっていると危ないですね。下が悪いことをする、そこまでいきますから。
質問者Eさん
冒頭のドクターの数が少ない、ポスドクの就職口がない、とかは10年以上続いている話ですが、ドクターの数を増やすというのは本当に、日本の力を上げるのに必要なのでしょうか、というのが私の根源的な疑問です。それと、もう1つは日本では民間の会社の中には学位を持っていなくても、大学の先生より研究能力がある人はものすごくいます。私も1人の産業をつくっていく中で、私の会社だけでなくて、他の会社方、研究者の方々と、学位をもっていない方がたくさん交流していますが、この人はすごいなという人がたくさんいらっしゃっいました。その人はパブリックには無名だけれども、会社の中では評価されて、給料は大学の先生の何倍ももらっています。必ずしも、ドクターをもっていなくても研究能力がある人は、日本には山ほどいて、それはそれで、ある限定された組織の中では、とても認められいてそれが今までは日本の産業を作ってきたと私は思っています。
だから、先ほど冒頭でおっしゃられたようにドイツの会社となると、ドクターをもっている人の給料は最初から違いますね。最初から研究者として優遇されるのですけれども、日本だと、皆持っている人も持っていない人も極端な話、高卒の人も同じラインから始めて、努力でどうなりますかという。外国と学位に関する考え方がちょっと違うのかなというのが私の印象ですね。そのあたりのご考えを説明願えればと思います。
 それはよく分かるし、正論だし日本の現状です。何を言いたいかというと、日本では修士でほとんどいい人がいなくなります。だから大学は良くならないということは間違いなくありますね。それでも会社は自分で育てるからいいんだとずっといってきました。それが今、もしかすると、日本が伸び悩む原因を作ってしまったのかという気もしています。
それから、もうひとつは非常に卑近なことですがやはりドクターがないと国際的な通用度が若干ないのではないかという心配もあります。今までは間違いなく、ドクターがなくても日本の会社というのは、非常に立派にやってきたのは事実だし、だいたいマスターでほとんどいい人は民間にいってしまう。さっき言ったように、身体が悪いか性格がおかしいのだけ上にいったわけですからね。それは、よく分かっています。ただ、これからこれで通用するかという議論は大事なんです。
やはり、ドクターは何かの専門家だけではだめなんですよ。幅広い基礎教養があって、なんでもできる、どんなものにでも対応できる、というのは、本当のドクターの定義だと思います。ですから、時代が変わって、高度な所を渡り歩くというか、社会が揺れ動くときには、やはり高い教養をもった人間が育っていないという先進国は困ります。
そのような意味では、ある数のドクターで優秀な人をつくっておかないと、ドッグイヤーで変わりゆく社会に対応できないのではないかと。ところが今のドクターのイメージは逆なんです。専門のあることしかできないというのが日本のドクターなんです。
ですから、日本のドクターの作り方の問題で、先ほど言った教授のワーカーみたいのばっかりつくってしまうから、そうなってしまいました。それで、今ドクターがいなくてもやれたというのが、間違いなく2000年くらいから破たんしてはいるなという気がしています。そのへんにはいろいろな評価があるので、言われたことも十分理解はできます。
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質問者Fさん
日本の研究者というと、例えば先ほど仰られたようにまさにちょっと偏屈な人というイメージがあります。市民的にも、例えば、「私研究者なんです」というと、「えー」みたいな必ずリアクションが返ってくるのが日本ではほとんどなんです。
ただし、アメリカの方でタイトルを書く、例えば、ミスターなど書くところに、ドクターみたいなやつを書いて出したりすると、携帯の販売員の人が、「君ドクターなのか、何の研究をやっているんだ」みたいな感じで、「ライフサイエンス」というと、「ES細胞とかやっているのか」など、結構マイナーなことまで知っていたりします。日本では、サイエンスの市民レベルでの知名度みたいなものは少ないですね。
研究者は基本的に、研究は楽しいと思ってやっているので本来的には何かしらの楽しさがあるからこそ、おそらく一般の人も、どういう形か分からないけれども、例えばアメリカだったら、ディスカバリーチャンネル、ナショナルジオグラフィックなど科学的な番組があるので、比較的市民レベルでもサイエンスの情報をみる機会が多いからかどうなのかは分からないけれども、そのようなカルチャーの問題があります。
そして、そのカルチャーの問題の上に、さらに、そこから育って、大人になって、いろんな人が科学技術職について、具体的には政治家になっていく人たちといのがいろいろな社会のインフラを等々を決めていくわけです。
日本の政治家、ポリティシャンの方で理系の方というのは僕の印象ではものすごく少ないと思います。例えば、今回の一連のことにも関係するような、構造の話も関係するかもしませんが、大学で理系の研究をやっていたような人たちが実際に政治とか社会的な仕組みに行くような道筋は各国と日本でどれくらい違うのか、というのが1つ目の質問です。
2つ目の質問は、iPS細胞に代表されるような、いわゆる、再生医療の出口があって、最終的にインダストリーと呼ばれるな産業化にきちんと結びつくような研究というのがお金がつくというのが現状で、それに対して競争的資金がついて、研究者はされに向かって研究をしなければならないというようなところがあります。でも、実際に、そういったものがスタートしてしまうと、政策としてそのようなことを推進しようというのが、進んでしまうと行政からサイエンスに対する何かしらのプレッシャーなり、関与なりというのが、今回の一連では、非常に強くあったのではないかというのが比較的、内部からの人間からの疑問点です。そのあたりはいかがでしょうか?
 山中先生はiPSをつくったんですよね。あのような人が天才的とえいます。今、実用のことをやっていますよね。でも、私は本当は向かないのではと思っています。もしかしたら、山中先生に自由にやってもらのであれば、もう1つ、iPS細胞的なものをつくるかもしれない。だけど実用化のところは、iPSでもESでも同じですからね。誰か他の人がやってもいいのではと思います。そこのところですね。ですから、政府なりJSTもそうですけれどね、そのようなものを見つけると、日本でも逆に一生懸命お金を出すようなところがありますよ。でも、世界中がそうなんです。そのような人が一発やってくれるとお金をつけて、ファンディングエージェンシーがホッとするというような感じになっているのでね。あのような基礎の研究者をもう一回基礎の素晴らしいことをやる可能性があるのに、応用研究、実用化研究に追い込んで本当にいいのかという疑問は、すごく個人的にはありますね。
というのは、江崎先生がダイオードの後は、超格子これは2つノーベル賞をとっても、全く不思議ではありません。そのような素晴らしい仕事をやっていますよね。それは、やはり自由にもう一回、好きなようにやったから、やれたんですよ。ところが、ダイオードであの後、半導体のデバイスでもつくれと言われたら、おそらくあの先生は駄目だったと思います。そのあたりは非常に重要な視点です。だから本当のイノベーションはやはり基礎研究から生まれるというのは間違いないわけです。それが1つです。
それから、政治家と科学技術、科学技術をやった人で政治家が一番多いのは、おそらく中国ではないでしょうか?上からほとんど皆理系ですよね。それから各国もたくさんいますけど、そのことより、もっと心配しているのは、理系白書にも書いてありましたけれど、理系に行った人がなんとはなしに損をするという風潮、これがやはり怖い。はっきり言うと、私の同級生の理系で民間にいった人が、案外息子を理系にしていない場合が多いですね。これは案外、深刻なのではないかという気がしております。
極端に科学者が政治家になっていないというのもまた、日本の特長で業種を最初から分けてしまっているからこのようなことが起きているという気がしています。
小山田 私から最初の政治家に関する話として補足なのですが、政治家の方の中にも博士号を持っていらっしゃる方は何人かいらっしゃいます。衆議院議員の科学技術イノベーション専門調査会でしょうか。中のプロファイルを見ていくと、何人かの方はもっていらっしゃったりしますが。ただし、選択的に科学者コミュニティが政治家を送りこんでいこう、ということをやっているのかといったら、それは全くないというのが1つ。
そして、海外でどのような例があるかというと、1つはアメリカの中に、先ほど、冒頭に紹介した、AAAS(トリプルエーエス)は、科学技術政策フェローというフェローシップを用意していて、ドクターを持った人たちのポスドクからもう少し上のクラスの人まで、対象は幅広いですが、200人~300人くらい毎年ですね、全米から集めて毎年ワシントンに連れてきています。そのような人たちが議会や行政府に入ってきて政策立案を携わる。
議会では議員の秘書、サポートスタッフになっていますし、行政府では例えば宇宙政策に対して自分の専門性を入れるとか温暖化政策に対して外務省に行って温暖化交渉の中で科学的な知識を入れ込む役割みたいなことをおこなっています。そのようなものを日本の中でもつくるというのも1つあるかもしれない。最近の知識を入れていくというパスですね。そのようなことが1つあるのかなという気がします。
質問者Gさん
研究不正のことについておっしゃったことで2つお伺いしたいのですが、そもそも日本の場合、バイオエシックスの専門家というのは本当に限られていて、色々な審議会に行っても、どこにいっても同じ先生がでてらっしゃるという状態ですよね。そのような中で果たして本当に監視とかモニタリングということができるのでしょうか?
もう1つの質問は先ほど、改革委員会の報告書では監視、というところがモニタリングという言葉に変わっていて、先生はあまり差はないのではないか、と仰られていたと思いますが、素人の私から感じると、監視というのはより外部の目をすごく意識して規律を正すといいますか、そのような感じが強い気がします。モニタリングというのは中の人がそれを見ていく、フォローしていくというところで、いわゆる不正を正すというベクトルからいくと少し、弱まるのかなというようにも感じます。
先ほど、先生がメンバーをみればもしかしたら本気度が分かるかもしれないと仰られてわけですけれども、あのアクションプランを本当に実行のあるものにできるのかどうかを教えていただきたいです。
 実行は最低レベルですから、必ずやってもらわないと困るとは思っています。監視ですが、これおもしろいんです。監視かモニタリングという話になったときね、僕、家に帰って女房に聞いてみたんですよ。監視とモニタリングどうかと。監視というとやはりすぐ思い出すのは刑務所だといいます。うーんと思ってしまってね。やはり、理研様も、そのような意識を含めて予防から外部改革委員ですからね、モニターするということでいいのかなと私は考えてしまいました。確かにちょっと強すぎるという意識を持ったみたいですね。監視は。それが1つですね。ですから、委員によると思います。ただ専門家は本当にいるのかというと、本当に難しいですね。
それから、この頃もう調査委員なんか引き受ける人いないですよね。全部調べられますからね。ですから非常に危機的な状況になってきています。ただ、ライフサイエンスで再現が70%ないということに対して、もう少しやはり謙虚になって、自分で再現実験をやって、それから研究が終わった段階で論文を出すという風潮がこの頃ないんですよ。何か出たらすぐレターを書いてしまうと。これは我々の頃、あまりレターというものがなかったです。これをやはり1回改めないといけないと思います。評価にNatureとかインパクトファクターを使い過ぎたきらいがあるなという気がしております。
Gさん 要するに、自分のエリア以外の専門分野を評価することはとても難しいですし、逆に言えば、手間もかかりますし、自分の研究だけでも、自分の学生だけでも手一杯の先生方が他の方の研究のこの図表とこの図表が違うとかですね、そのようなことまで果たして微に入り際に入りモニタリングできるのかと思ったときに、結局、形骸化してしまうのではないかという危惧を覚えると思うのですが。
 今後の学術のあり方の根幹みたいなところですよね。1つの解は何かと言うと、論文誌というものがもう意味がなくなって、研究者は勝手に結果を報告しろと。そして、それを読みたい人が読むというような時代がもしかしたら来るかもしれないですね。
というのは、ピアレビューが限界を超えてきていますので。ですから、私が今おっしゃったのはちょっと極端でただやはり学会というものが先にあってそこで同業者がピアレビューの基に論文を出して認め合うというのが、今は商業誌の時代になって、それがもうすでに崩れています。そこなんです。ですから、もしかすると70%再現しないような世界は、本当は勝手にみなどこかに論文を出して、コンピューターで読みたい人が読むというようなことが起きてくる時代がもしかすると起きるのかなという気がします。ただし、論文採択数が今、だいたい5~10倍ですよね。そうすると世の中に出回る論文が今の5倍~10倍になって、ますます読めなくなる。だから、キーワード検索だけの時代になるなと、このような議論もしていないわけではないんです。でも、もう怖い時代になってきましたよね。
小山田 皆さん、本日は岸先生のお話を伺って、色々、思ったところもある、考えさせられる点もあったと思いますが、やはり私が思ったのは、非常にタイトなスケジュールの中で改革の提言を纏められて、しかも、先ほどもあったように、右と左という表現が適切かは分かりませんけれども、非常に大きなボイスを持つ人たちを纏め切ったのは、今日皆さん感じられたと思いますけれど、岸先生の幅広い見識と経歴に裏打ちされた知見に依るところだと思います。本日は長時間に渡ってお話いただきありがとうございました!
(完)
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【サイエンストークスのイベントの詳細】
サイエンストークス・オープンフォーラム2014 日本の研究をもっと元気に、面白く~みんなで作る、「第5期科学技術基本計画」への提言~
日時:2014年10月25日(土)12:30 – 18:00 (※受付12:00〜)
場所:東京大学 本郷キャンパス(工学部)武田先端知ビル 武田ホール
参加人数:200名  参加費:無料
お申込みはこちらから≫

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