大学新時代を開拓する戦士たちが大集合!北大URA座談会
- 大学経営日本語記事
- May 1, 2019
北海道大学URAステーションメンバーが大集結!大学が大きく変革を遂げる時代の最前線に立つURAの現場のホンネを語っていただきました。
現場の人々が語る、北大URAのこれまでと、これから。
ーみなさんにとってURAの定義ってなんですか?
上原 URAになってまだ6ヶ月ですが、想像していた仕事と違いましたね。北大のURAって個人のサポートというより、プロジェクトマネジメントに近いですよね?
古畑 そう。私も入ってまだ6ヶ月ですが、自分の仕事を定義すると、大学を主観的にも客観的にもよく見て、この大学がどうしたらもっとよくなるかを考えて、理想を実現するために動く仕事だと思う。部局にいて課題を抱えている人がみんな解決に動けるわけじゃないから、私たちURAは執行部の下にいて、考えて動くことが期待されている「実行部隊」、そういうイメージです。
和田 私はURAって「のりしろ(糊代)」だと思う。教員と事務はそれぞれに持ち場と役割が決まっているけれど、新しいことをするときには人や組織をつなげたりする糊代が必要です。いろんなことができる立場ですよね。
小俣 僕はURAって「攻殻機動隊」ってアニメの「公安9課」だと思っていて。一人一人のURAの仕事は違っても、大きくとらえたときに、その大学のミッション、あるいは地域や国のミッションにつながっている。自分はそういう機動的な分子なのかなと思っています。
田中 研究者の仕事は個人の自発性に基づいて研究活動を行うことで、 それが一番イノベーションをもたらすんですね。その活動を支えるためには、大学全体のことを考えて、予算をとってきて環境を整備することが必要です。URAのミッションは、 北大ブランドを確立して、先生方がうまく活動できるような環境を作ることだと思います。
ーURAのお仕事のここが面白い!
上原 URAになると研究者をやっていたときにはいままで知らなかったことや新しい経験ができて面白い。大学経営でどんな風に意思決定がされているのかとか、事務のお仕事とか。
古畑 ありとあらゆる部局の人と関わっていけるのがとても面白いな。これは北大URAの特徴だと思いますが、理事の直下にある組織なので、大学全体を俯瞰できて、大きな仕事を任せてもらえる。 私たちのように元研究者だった人間って、普通の階級的な組織には向いてない人の集まりだったりします。だからそういう個性を生かせる環境がすごく大事なんだと思うんですよね。
加藤 大学の執行部や先生方だけでなく、文科省に行って担当の方と直接話すこともできる。研究者を続けていたら味わえなかったありがたい経験だと思います。
和田 私も加藤さんと同じで、 文科省や、経産省、農水省に行って人と話をすることで改めて自分の大学の魅力を知ることができるのがすごく面白いなと思います。それに執行部に近い立場で、組織に横串を通せる立場なので、部局をまたがっていろんな先生とプロジェクト形成ができるっていうのは、URAでないとなかなかできない。ワクワクするし、だから本当にこの仕事できて良かったなと。
小俣 いろんな職場で働いてきましたけれど、今までにこんな素敵な人たちと仕事したことないなって思って、それが一番嬉しいです。おべっかじゃなく。自分の考えやヴィジョンを他のURAと共有して、一緒に考えてもらえる。
高木 1番面白いのは、いろんな研究者の方に会って最先端の話が聞けることですね。その中で研究活動で不便に感じているところの改善案を自分が提案して、研究活動がスムーズに行くようになれば、それはやりがいがある。
ー逆にURAをしていて苦しいことは?
加藤 まあいろいろ、苦しいんだよね。URAはいろいろな部署、職種、階層の方と関わるので、やっぱり全部が全部うまくいくわけでもなくて。実働部隊をしていると、新しいことをするときに学内の調整に時間を取られることもある。
もちろん相手方の言ってることも正しいのですが、もうちょっと融通利かせてもらいたいなあ、と思うこともあったりして。交渉が難航したときなんかはやはりストレスに感じることがあります。
古畑 すいません、私難しいと思ったことがないです!
加藤 さすがっす。
江端 さすがですね。それは素晴らしい。
古畑 URAってどんな経験も活かせるんですよね。人生経験が豊富なほど応用が利く。私は以前は大学、外務省や国際機関の中でも働いてたことがあるんですけど、組織の形態ってそれぞれ。
もうだめだ、どうしようって思うこともあるけれど、URA自体が新しい組織だからそれが当たり前。 迷いや揺れている部分があっても、誰かに相談すれば答えをくれることもあるし。
和田 URAの難しさは、大学が企業のように一つの目的に向かって進んでいる組織じゃないことなんです。
小俣 大学は森みたいなもの。光合成をしている人たちもいれば、ミジンコ食べてる人たちもいて。
和田 一人一人の利害関係ややりたいことがすごく多様的な組織なので、一つのプロジェクトを進めるときに人をまとめて本当にいいものにしていくのにはすごく力がいる。逆にやり応えのあるところだなと思います。
岡田 北大URAは企画から事務処理までいろいろなレベルの仕事をこなさなきゃならない。フラットな組織なので、一人一人がともかく降ってくるいろんな仕事をどんどん打ち返してるっていう状態。楽しいけれど、正直しんどいときも(笑)。
本当に何か成し遂げたっていうところまで行くのに、1年2年じゃ足りないこともありますね。
ーみなさんそもそもどうしてURAに?
加藤 僕は研究所に勤めていて、任期が切れるから次の仕事をさがさなくちゃいけなくて。研究者として残るか、URAに進むか悩んだときに、僕が一人で研究を続けてでてくる成果よりも、大学全体の研究支援をするほうがもっとたくさんの発見に貢献できるし、もしかしたら人よりも早く、最先端のデータを見ることができる立場になれるかもと思ったんです。
和田 私は元研究者ではなくて、企業で研究開発と、開発したものを事業化する社内ベンチャーみたいなことや人事をやってました。組織の「資産」ってものに興味を持っていまして。北海道に帰ってくることになったときに、ちょうどURAっていう職の公募があって。説明を読んでも 実はあんまりよくわからなかったんですけど、大学の宝というか、まだ視覚化されていない価値を掘り出す仕事なのかもと思って応募して。面接ではちょっと一発芸みたいなことして、採用していただきました(笑)。
—どんなことをされたんですか?
和田 面接で「そう見えないかもしれないですけど、私、可動性があります!」って言って、バーンってブリッジする写真を見せました。あれがウケて採用されたのかなって。(笑)
古畑 「事務と教員の架け橋に!」とかって言って?
和田 そこまでは言わなかった(笑)。
—URAの採用面接で一発芸やれなんて言われるんですか?
江端 全然言われないよ(笑)
古畑 あとはプレゼンをさせられました。
加藤 それ、僕のときはなかった。僕が何か悪いことしたから厳しくなったのかな?(笑)
高木 私のときもなかったです。作文は書かされたけれど。
加藤 まあプレゼンとか一発芸から応募者の発想と人柄を読み取ろうとしてるんじゃないかな?
江端 いやいや、一発芸求められてないし!(笑)
古畑 私は大学で教員をした後、カナダにある国連の専門機関にいたんですけれど、 国際機関ではいろんな人とコミュニケーションしたりする仕事が本当におもしろかったんで、日本に帰ってまた研究室にこもることを考えるとどよーんとしていて。帰国後の仕事を探しているとき、ちょうどURAという職が登場しはじめていた時期だったんです。
博士号を持っていて、自分の経歴もキャラクターも活かせるところがいいなと思って、URAが感覚的にはまった。北大に決めた理由は、北大のURAは確か契約期間の延長があったりテニアトラックに乗れたりという将来があるところが他の大学と決定的にちがったんですよね。
上原 古畑さんと同じで、北大URAはテニアトラックがあることがかなり魅力でした。その前は企業の研究所にいましたけれど、40歳過ぎたら研究開発チーフとして経営企画をやってみたいなと思っていました。
だからURAに興味を持ったんですが、特に北大では正規職員としてちゃんと採用される道があるっていうのが応募するかなり強い動機にはなったと思います。3年後にクビ切られるんだったら来なかった。
高木 私も同じです。旦那にくっついて北海道に来たんですが、博士号を持ってると民間企業ではまず採用されないんですよね。それで最初は大学で研究支援者として働いていたんですが、研究者の先生たちの事務仕事や研究プロジェクトの支援をしていて気付いたのは、研究者の方々って独立心が旺盛なせいか規則とか事務処理に本能的な警戒心から苦手意識を持つ方が多い。
ルーティンワークに抵抗がない私がやったほうがずっと早くて、感謝される。こういう仕事に適性あるのかなと思ってたときに、最初のURAの公募が出て。研究支援者って普通に雇用されてると5年が限度ですけど、北大URAの場合はそうではないみたいでしたので。
ー今後、北大URAはどうなっていくといいと思いますか?
上原 今の北大URAは個人個人がそれぞれに異なる仕事をしていますが、これからは組織的に、チームとして動いていく方法を真剣に考えて、やっていくべきだと思っています。
古畑 そもそもURA職って何?という説明が今すごく難しくて、知り合いの先生や同僚に会うと、「研究ポストがあったら戻らないの?」とか言われちゃうんです。「えっ、何でそういうこと言うわけ?」って思っちゃう。私、この仕事が楽しいんですけどって。研究者にはできない仕事をしていると思うから。悲しいとか悔しいではないですけれど、この仕事の重要性をもう少し認識されたらいいなって。
でもそれは自分たちの責任でもあって、URAは URA職にしかできないことをやってるとわかってもらえるような仕事をしたい。大学の中の人たちが、URAがいたらいいなって思う像に、近づくまでにはすごく時間がかかるし、北大はそれを育てるつもりでやってくれている。長い目で見てもらっているからこそ、ちゃんとそれに答えられるようになりたいなと思います。
加藤 僕の将来のURA像ってことで僕が人に冗談で言ってるのは「我々がURAマフィアとなって大学全体を牛耳っちゃうからね」と(笑)。北大URAは経営人材だといっても、本当に僕らに将来大学経営ができるのか?というのはまだわからない。
でも大学全体のことをわかっている人間として、外部の人や教員、事務の人たちに大学全体の方針や考え方を伝えられる立場になることはできます。そのときに「あんた誰?」って思われないように、ちゃんと認識してもらえるようになるといいなと思っています。
和田 加藤さんのいう「URAマフィア」って少しわかる。大学の執行部って数年で入れ替わっていくんですよね。それを定点的にずっと見て、人が入れ替わっても長期的なスパンで良し悪しを見極めてサポートできる屋台骨みたいな存在になるべきだと思っています。あと古畑さんの話にあったように、私たちが楽しく働くことでURAを憧れの職業にしたいです。
雑誌「ScienceTalks」の「北海道大学URA 大学戦国時代を生き抜く経営人材としてのURA」より転載。