科学と宗教、そして政治──過去のパンデミックから学ぶ

新たなパンデミックを防ぐために科学者、政治家、コミュニティの指導者はどのように協力できるのか、歴史が教えてくれる

科学と宗教、そして政治──過去のパンデミックから学ぶ

過去2年間、COVID-19のパンデミックとワクチン接種についての議論が衰えることはなく、多様な、多くの場合対立する意見が示された。次から次へ、雪崩のように情報が押しよせては消えていく。人々は誰を信頼すべきか、どこに問えばよいのか分からなかった。ワクチン接種へのためらいは、ワクチンの有効性への不信と結びついていることが多い。情報が錯綜し、公共機関からの質の高いデータが不足しているからだ。

コロナ禍で、よりオープンで透明性の高い医療制度と情報公開、そして科学・公共機関・民間人・宗教団体などの重要機関のあいだの協力体制の必要性が明らかになった。市民は、一貫性と誠実性、そして、感染者数や死者数を数えるだけにとどまらない、より具体的で明確な情報公開を求めている。一流の科学者と政策立案者、宗教指導者、社会のリーダーたちは、重要かつ正確な情報が人々に届くようにする必要がある。しかし残念ながら、彼らの努力はいまだ広く伝わっていないのが現状だ。パンデミック下での科学と政治、宗教の役割について、歴史は何を語り、私たちはそこから何を学ぶことができるのだろうか?

あからさまに西洋中心主義的な世界においては、COVID-19のパンデミックは人類史上もっともひどい健康への脅威だと思われている。しかしそれは科学的な根拠に基づいた知見とは言えない。20世紀に起こった多くの歴史的な流行病やパンデミックは、COVID-19よりひどいものだった。ワシントンにある保健指標評価研究所(IHME)によると、2021年11月の時点で、COVID-19の死者数は過去150年のあいだで4番目の多さである。上位3つは、スペインかぜ(死者数1700万〜1億人)、HIV/エイズ(死者数3630万人)、ペスト(死者数1200〜1500万人)だ。西洋の先進的な医療制度から得られる安心のせいで、人々は世界の他の国々がいまだに死に至る病気の突発に直面していることを忘れがちだ。各国の政府は、そのような状況に幾度も直面してきたアジアとアフリカに注目し、パンデミック対策の活路を見いだそうとしている。これは、現在と過去のパンデミックにおいて、国家の決定がいかに重要であるかを示している。2020年に発表された論文では、「強い国家が復活したが、この展開が最終的に支持するのはどの政治課題なのか、右派か左派か、どのような指導者なのかを予測することはできない」と述べられている。

スペインかぜ流行時の科学の欠点と政治の失策

歴史をみれば、科学研究が政治決定と強く結びつくことの重要性が、良い例と悪い例の両方から分かる。政府はよく、政策決定は「科学に従っている」と言うが、ケント大学のAlex Stevensが言うように、それは間違いが生じたあとであることが多い。たとえば、科学ジャーナリストの Laura Spinneyによると、スペインかぜの初期、健康の専門家は検疫の必要性を認めず、また、第一次世界大戦のさなかであったため、政府は戦争末期の弱みを見せないよう、その病気の致死率を隠していた。Spinneyの主張では、スペインかぜが公衆衛生当局が警告を発するほどのものとは捉えられておらず、その結果、対応が後手にまわった。失敗は科学研究につきものだ。事実、よりよい答えを導き出すためには失敗が推奨されているとSpinneyは言う。スペインかぜの流行時、科学者たちはどのような対処法をとるべきか分からず、1918年8月後半に第2波が到来して初めて、海上検疫やソーシャルディスタンス、マスクの着用という形の方策を打ち出した。このパンデミックに対する医学的回答の遅れは、沈黙を守りたいと願う政府の意向とあいまって、世界でおよそ5000万もの死者を出すインフルエンザの大流行という事態を招いた。

しかし、これは科学の失敗なのだろうか?多くの国々は脅威に直面して「弱み」を見せることをきらい、政治的な力によってパンデミックの実態隠しが決定された。政治的な支援がなければ、いかなる方策も不可能なのだ。

パンデミック初期に大規模な集まりを規制し、マスク着用を強化した国や都市は、感染対策に成功しただけでなく、経済的な損失も少なかった。当時は治療のための抗生物質も抗ウイルス薬もなかった。政府は行動を起こし、その決定の責任をとらなければならなかったが、当時の医学的な知識は明確な解決策を示していなかった。これが科学と政治の大きな違いだ。科学は実験して失敗することが許されるが、政治家は即効性のある意思決定を求められ、失敗は大きな痛手を伴うことがある。要するに、科学者は政策決定者に解決策を提示したり助言したりすることはできるが、それを実行する力をもつのは政治家なのだ。1918年の事例のように、政府が責任を担う必要がある。これはCOVID-19のパンデミック下で政治家と公衆衛生の専門家が認識すべき重要な点だ。専門家は研究するために存在し、政治家は、専門家の意見をすべて聴いたうえで、感染対策の意思決定をするために存在するのだ。

「ポスト真実」がいかにHIV/エイズのパンデミックに影響を与えたか

人々は保健機関や政府に対して、より高い透明性を求めている。私たちは「ポスト真実」の時代を生きており、そこでは真実が価値を失い、たとえ強い反証が存在したとしても、誰もが自分の信じる真実を生きている。それは、政治学者Colin Crouchが「ポスト・デモクラシー」と呼ぶアイデアにも呼応する。ポスト・デモクラシーとは、民主的制度(法の支配、多党制、自由選挙)はあるが、少数のエリートが支配力をもち、民主主義的な機構を吸収している状態を指す。基本的に重要な決定は議会や省庁ではなく、ロビー活動や裏取引によって行われる。

このような状態が人々に科学不信を抱かせ、公衆衛生に損害を与えかねない。地球規模でのHIV/エイズの流行は、科学的な事実がいかにねじ曲げられうるかを示した。特定の行為によりウイルスが伝染すると信じられていたのだ。皮ふ接触や涙、汗、唾液、蚊、オーラルセックス、同性愛者や薬物乱用者とのおしゃべりではHIVに感染することはないと科学的に証明されているのに、ポスト真実を基準とした迷信がまかり通っている。他方で感染者は、使用している薬を過信したり、あるいは、ウイルスがどのように感染するのかに無自覚であったりすると、気づかずに病気を周囲に広めてしまうことが多い。HIV/エイズはいまだ根絶されておらず、薬や治療法も完璧ではない。HIV/エイズの流行の教訓は、自分が唯一の真実の仲裁者であるわけではないことを自覚し、明白な科学的根拠に反する決定がなぜなされるのかを問う必要がある、ということだ。

宗教的な真理は科学をサポートするのか

科学と宗教が対立することはよくある。時として、科学と宗教は異なった真実をもっているように思える。宗教とスピリチュアリティが科学的な事実を受け入れないのだ。両者の複雑な関係は、回勅「信仰と理性」のなかで明確にされた。そのなかで、教皇ヨハネ・パウロ二世は、理性と信仰は人間の精神の両翼であると言及した。過去には、宗教組織が科学研究の道しるべであったが、19世紀から20世紀にかけて科学が宗教から分離し、両者が対立するようになった。しかしこの回勅により、科学と宗教は、非常にあいまいな形ではあるが、ふたたび人類の進化のために同じサイドに立つことになった。

過去のパンデミックをさかのぼると、宗教コミュニティが信者に強大な影響力をもってきたことが分かる。かれらは勧告に沿って行動するよう呼びかけることも、公衆衛生対策に抵抗するよう勢いづけることもできる。エボラ出血熱が史上最大に流行し(2014年〜2015年)、1万人以上の死者と2万6千人以上の感染者を出したとき、宗教団体は保健、教育、社会的支援を提供した。かれらの役割は政府や国際機関から見過ごされがちだ。パンデミックにより公衆衛生が脅かされたとき、信者と宗教指導者は、葬送儀礼や地域社会との関わりを管理しながらも、普段の礼拝や信仰に関するあらゆる規律に従う、という課題に立ち向かわなければならない。たとえば、国際協力NGOワールド・ビジョンがシエラレオネ共和国で実施した「チャンネルズ・オブ・ホープ(希望のチャンネル)」プログラムは、科学的な情報を神学と組み合わせ、イスラム教とキリスト教の指導者の対話を実現した。多くの国際的な宗教組織が世界の貧しい地域で医療支援を行っている。

他方で、医学的な真理を損なう宗教実践も存在する。キリスト教の教えのなかでの避妊に関することがこれにあてはまる。カトリック教会はキリスト教の宗派で唯一、人工中絶や産児制限のためのホルモン剤、膣外射精、避妊手術、コンドームやその他のバリア式避妊法の使用に反対している。プロテスタント派の大半は、程度の差こそあれ、バース・コントロールを容認している。無防備な性行為をしている人は信仰心が強いのかもしれないが、性感染症やHIVに感染するリスクを冒している。これは、カトリック教会がまだ取り組んでいない課題だ。宗教的信念の強さと宗教組織の力は、間違いなく、よりよい医療を支えることもあれば、医学的な知識を深刻なまでに脅かすこともできる。宗教色の濃い社会で働く科学者は、このことを肝に銘じておく必要がある。

科学のコミュニケーションを豊かにするためのスキルとツール

歴史を振り返ると、パンデミックに対処するための多くの教訓が分かる。ポスト真実とポスト・デモクラシーの時代において、科学はその知見を伝えるためにより良い方法を模索する必要がある。健康の専門家は、より明確に、より積極的に公共空間に関与すべきである。とくに陰謀論者に乗っ取られているインターネットではなおさらだ。情報を隠したり、あるいは情報量を制限したりすると、スペインかぜのパンデミック時と同じく、反対や抵抗、さらなる大流行を招く。健康に関する正しい知識が重要であるので、大切な情報はもっと明確に提供されなくてはならない。患者、専門家、政策立案者のあいだで建設的な対話をもつことが必要不可欠である。

また政府は、政治の意思決定について責任をもつべきで、科学コミュニティにその責任を押しつけてはならない。もし科学的な決定しかないのであれば、すべての国が同じ手順を踏んできたはずだ。だが実際には、無数の対処法がなされている。世界保健機関(WHO)の取り組みは単なる情報源でしかなく、その勧告を各国に強制する力はない。これはつまり、国民の健康を守る責任は各国の政府にあるということを意味する。現在のパンデミックに関しては、政府はワクチン接種による副作用の可能性という重荷を負わねばならなかった。とくに、予防接種を受けないという選択肢がますます少なくなっている現状では、国民にその責任を負わせることはできない。

最後に、パンデミックの行方を左右するのは草の根の影響力である。もし地域社会が対策を実施する用意ができていなければ、パンデミックは収束しない。世界人口の8割以上が超自然的な存在や力を信じており、これは、人類の圧倒的多数が宗教的であることを表している。ゆえに、宗教団体も科学的な真理を受け入れるうえで大きな責任を担っている(ただし、科学は完璧ではなく間違いの余地もあることを割り引いて考えること)。宗教団体への働きかけは、公衆衛生に関する行政の取り組みのなかで、現在欠けている部分である。いくつかの宗教的な見方は、科学者が望むほどには変わらないかもしれないが、それは宗教指導者へ働きかけを怠ることの言い訳にならないのだ。

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