ヒーローと構造の発見:パンデミック下のコミュニケーションに欠けているもの

クリストファー・ボルガーは、パンデミックのさなかでさえ優れたストーリーテリングが人々の心を開き、気持ちを変えると語る

ヒーローと構造の発見:パンデミック下のコミュニケーションに欠けているもの

インタビュー:加納愛
編集:ジェイコブ・P・バンホーテン 

パンデミックに関するコミュニケーションがカオスと化していたことは誰もが認めるとろこだ。世界一の大国の大統領が、コロナウイルスは気温が上がれば弱まると主張するなど、世界の指導者たちの妄信に、信頼できそうな筋からの情報が戦わなければならなかったことは救いようがなかった(その主張には科学的根拠が一切なく、また実際にそうならなかった)。 

フェイクニュースや拡散力をもつ無能な指導者そして科学界への不信感を背景に、パンデミック下でどのようなコミュニケーションをとればよかったのだろうか? 

WHOが「パンデミックの終わりが見えてきた」と告げるまえの2022年1月、世界がいまだに新型コロナウイルス感染症で混乱するなか、私たちはクリストファー・ボルガーにビデオ通話でインタビューを行った。クリストファーは著名な物語の作り手であるばかりか、このテーマに関して上級者向けの講座を開催している。ハリウッドの重鎮かつ脚本家・著者として活躍する一方で、映画の脚本家向けに会社用の覚え書き記し、それがのちにThe Writer’s Journey: Mythic Structure for Storytellers and Screenwriters(邦訳『作家の旅 ライターズ・ジャーニー 神話の法則で読み解く物語の構造』府川由美惠訳、フィルムアート社)として出版された。南カリフォルニア大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教壇に立ち、ディズニーアニメ『ライオンキング』のストーリーに協力したことで有名である。 

本インタビューでは、彼の著書のなかで勧められているアプローチがサイエンスコミュニケーションに与えうる恩恵と、誤情報や疑心と闘うためにコミュニケーションを活用しうる場面について尋ねた。記事は分量と内容に応じて編集されている 

最初に、あなたの著書で紹介されている「失われたヒーローと失われた構造」という概念についてお伺いいたします。パンデミックのなかで、主に反科学を唱える人々によって、多くのフェイクニュースや陰謀論が拡散されました。それらの情報は科学者の発する情報よりも強力なように思えます。あなたはストーリーコンサルタントとして、パンデミック下の政策やサイエンスコミュニケーションについてどのような考えをおもちでしょうか? 何が欠けていて、何を変えることができるのでしょうか?  

コミュニケーションに関してぜったいに忘れてはいけないのは、人間的な要素を維持することです。一般の人々が科学者も自分たちと同じ人間だと感じられるように、できるだけ人間味あふれる方法で科学の立場を示す必要があります。科学者も、世界で起こる出来事から影響を受けます。また、間違いをおかしたり事態を把握できなかったりするときは傷つきもします。科学とは学習プロセスであり、たえず修正が必要なものです。 

人々が科学を恐れるのは、疑念を抱いているからかもしれません。かれらは科学者や専門家を、自分たちより上のエリート層として距離を置くかもしれません。だから、科学者も間違えること、自分の意見を見直す必要があることを示すのは良いことです。それは、臆病なたちが活用してきた非常に重要な原理です。かれらは、科学は正しいことを知っているはずなので、もし間違いや矛盾があるなら、他のすべての議論も怪しくなる」という図式をつくりたいのです。どのように疑心に対処し、それに打ち勝つかを私たちはまだ考え始めたばかりです。  

アメリカでは、疑心が武器とされてきました。それはタバコ会社がやったことを見れば分かります。タバコのパッケージに警告を表示することを義務づける法律が制定されつつあったときのことです。タバコ会社が猛反発しました。そのような警告表示は意に反するものでしたし、それどころか、これまで長らくやってきたように、喫煙を体に良いものとして奨励できるよう望んでいました。かれらは自分たちの統計や科学者を使って疑問を投げかけたので、大衆が真実を見つけるのがますます難しくなりました。科学には数学と統計、多くの実験の繰り返しが含まれますが、科学者でない人々、特に科学を恐れている人々はそのようなツールを使いません。大規模な問題について個人を納得させるのは難しく、疑念を抱かせるのは簡単です。ひとたび、その問題が自分や自分の家族に影響を与えるようになると、そのような疑念を抱くほうが難しくなるのですが。  

科学者の人間的な側面を見せることで、どのように恐怖や疑念を解決できるのでしょうか?  

今、世界は孤立しています。多くの人が、ある意味、牢屋に閉じ込められているかのように感じています。アメリカでは、個人に対して強い価値と責任が付され、集団はそこまで重視されていません。  

ストーリーテリングの美点の1つは、他者の人生に対して人々の心を開くことができる点です。自分と似ているところもあれば、異なるところもあるでしょう。もしかしたら、他者も自分と似たような問題を抱えているかもしれません。特定のシチュエーションで、ある行動をとる登場人物が、トラブルに巻き込まれたり、罰せられたり、あるいは教訓を得たりするのを目にすると、私の一部も自動的に同じように感じます。これは非常に人間的な反応であり、物語こそ、人々を共感の境地に、他者の気持ちを感じられる場所に連れて行くことができるのです。  

科学に関する映画では、脚本家は物語の感情面を伝えるサブプロットを使うことがあります。映画のなかでは、病気の大発生やエイリアンによる襲撃など、世界的な大惨事が起こるかもしれません。しかしその数段下では、普通の人間が抱える問題に人々が対処しているのです。  

このような付加的レベルが、人間らしさ、つまり、「この人は私だったかもしれない」という気持ちを生み出すのです。ハリウッド式のアプローチの1つとして、ストーリーがうまくいっていれば、大きな問題を取り除いても、人々の日常的な問題についての面白い話になります。  

非常に興味深い例ですね。パンデミックのストーリーで、欠けているサブプロットはどのようなものでしょう? 

ジョディ・フォスター主演の『コンタクト』という映画が頭に浮かびます。フォスターが演じる科学者、地球外生命との交信に力を注ぎます。彼女は個人的な重荷も背負っています。幼い頃に父親を亡くているのです。彼女は家族との再会を願います。科学者たちは非常に複雑な仕事をこなし、大きな機械を扱い、爆発まで起こる。しかし個人的なレベルでは、父親を恋しく思う人物が描かれています。サブプロットがこの2つの世界を結びつけるのです。そしてそれこそ、私たちが目指すべきものなのです。 

出典:IMDB

最近で言えば、ファウチ博士(訳注、米国立アレルギー感染症研究所の所長)ことを思い出します。彼は政治的な主張で攻撃され、自分や自分の家族に対して脅迫をうけたが、それに正しく対処しました。彼は、「あなたがたの攻撃は、私や私の家族を脅迫しても大丈夫だと人々に思わせている。それは許されないことだ」と述べたのです。彼のことを好きになない人々も当然いるでしょうが、彼も1人の人間であり、これらの問題が彼の個人的な生活に影響を及ぼしていることに理解を示す人もいるでしょう。 

人々が科学者に共感し、信頼できるよう、科学者自身が自分の話をもっと見せるべきだということですね。しかし、そのような疑念はどこから湧いてくるのでしょうか先ほど、科学者自分たちと同じではない感じる、ヒエラルキーの問題について触れられていましたが。

それは部分的には、科学と医学の世界に見られるヒエラルキーが作り出したものでもあります。何世紀ものあいだ、医師はすべてを知っていて、患者は医師の指示に従うべきだというイメージをつくらなければなりませんでした。おそらくある時点で、人々はそれに抗うようになります。とくに、それが自分の生活に侵入してきたときです。「マスクを着けなきゃいけない。予防接種もうたなければ。シートベルトも必要だ」という風に。そのような考えが嫌になると、科学なんて信用できない「空想」の専門家だらけだ、という考えに転じてしまいます。  

ここで、「信頼」というもう1つのキーワードが登場します。非常に難しいことですが、私たちは社会のあらゆるレベルで信頼を回復する必要があります。とりわけ、科学の偉大な業績を伝えることが大切です。

なぜ、科学界が信頼を回復することがそんなに難しいのでしょう? また、なぜ科学界は、例えば「反ワクチン」や「反科学」のグループから、こんなにも遅れをとっているのでしょうか?  

非常に的を射た質問です。それに関しては自説があります。私はこれまで、人々が非常に多様な方法で自分を取り巻く世界を処理するのを見てきました。[顔のまえに手をかざして]本当にこれくらいの距離でものごとを見て、詳細なレベルで処理する人々もいます。のような思考をもっている人やその傾向のある人は、科学だけでなくあらゆる種類の権威に対して、いぶかって疑いの目を向けがちで、あるいは憤慨することもあります。

その他の人々、とくに科学的な思考をもつ人は、もっと幅広い視野で、地平線の彼方にあるものを見るようにものごとを観察します。 

どちらも、人間の脳の働きにかなった視点です。そして今の社会では、これら2つの視点を切り離そうとする力があるように思います必要なのは、それらを結びつける努力です。 

この分断には、ひとつには言語が関係しています。科学者は、科学特有の、多くの場合入り組んだ言語を使うよう訓練されています。それは、普通の人々が理解している言語とは異なります。サイエンスコミュニケーターは、自分たちの言葉を修正する必要があります。相手側にそれを求めることはできませんから。科学を大衆にとってもっと身近なものにし、人々にメッセージを聞いてもらうには、科学の側から運動を起こさなければなりません。

新型コロナウイルス感染症関連のコミュニケーションを考えてみましょう。当初、人々は手探り状態でした。それは間違いありません。科学者含む誰もが、不透明で矛盾に満ちた情報伝達が混乱を招いたことを認めています。医療システムは、コミュニケーション専門の部署をもつべきです。科学は、シンプルで一貫しつつ、感情に訴えかける言葉遣いを学ばなくてはなりません。 

サイエンスコミュニケーションが正しい方法で適切に行われた例はご存じですか? 

最近の映画、『ドント・ルック・アップ』が良い例です。[本映画はこのインタビューの数週間前、2021年の12月にNetflixで公開された]その映画は風刺なのです。実際は気候問題について語っているのを、フィルターをかけて、地球にやって来る彗星の話にしたのです。非常にうまく人間くささを演出していると思いました。それこそ私が先ほど述べたことなのです。人間関係に悩むなど、リアルな人生をおくる科学者の姿が描かれています。  

出典: IMDB

この映画への反響は二極化しており、ソーシャルメディアで意見が割れています。私と私の妻や友人たちのように、「すごく良かった。面白かったし、言いたいこともよく分かる。賢い方法で警告を鳴らしているんだ」と言う人もいます。しかし不愉快に思う人もたくさんいました。私はそのような反応にある種のショックを受けました。その映画はうまくできており、私が先ほど話した、「人間的に、シンプルに、一貫性をもって」ということをきちんとやっているのですから。科学には、こういう反応がつきものです。科学者が問題を伝え、警告を発すると、世界は「[クリスは冗談めかして両手で耳を覆いながら]あああああああ」と耳をふさいでしまうのです。ある種の人々にとって、科学者の言うことを否定して信用しないのは、ほとんど宗教のようなものです。  

もしかしたらサイエンスコミュニケーションでは正しい例が使われていないのでしょうか? もう少し説明していただけますか?  

『ドント・ルック・アップ』がなぜ二極化したのか、という説明なのかもしれませんが、希望がないことが一因だと思います。その映画では、一大事が起こるなか、人々は愚かで利己的な行動をとり、意見が分裂する。誰も何もしないし、1人残さず死んでしまう。希望がないのです。それが、人々の反応がこんなにも激しくなった一因ではないでしょうか。

人々に警告し、脅すようなアプローチは間違いなのでしょう。おそらく、互いに協力し、感情と理性一致させて地球を救うことができる、という空想を与えたほうが良いのかもしれません。それがこの問題の解決策になるのかもしれません。

「空想」ですか。面白い言葉を使われましたね。あなたの著書にも書かれていましたが、「ヒーローの物語」では多くの場合、ヒーローが試練に直面します。その試練を通して、人々や地球を救うために何か行動を起こしたり成長したりしなければ、とヒーローが感じるパンデミックで多くの人々が利己的行動をとるなか、コミュニケーションにより人々を正しい方向に向かわせることができるのでしょうか? なぜ利己的な行動をとる人がいるのでしょうか? どうすればサイエンスコミュニケーションはそれを変えることができるのでしょうか? 

私は物語が、体内のさまざまな神経中枢に作用して、感情的な反応や、さらには身体的な反応までも引き起こすことを見てきました。権力やセックス、生存に関する動物的な中枢に近い低次元のものもあれば、もっと高次元の、愛や精神体験に関わるものもあります。もっとも低いレベルに訴えかけるのは簡単です。しかし、良い物語には先ほども述べたようなサブプロットがあるので、人間がもつ可能性のより高次の中枢を活性化し、視聴者を実際に奮い立たせるのです。  

もう1つ思い浮かぶのは、『DOPESICK 米国を蝕むオピオイド危機』というオキシコンチン(訳注、オピオイド系の鎮痛剤の商品名)の蔓延に関するドラマです。その薬は米国内で広く流通しており、多くの依存症者と死者を出しています。このドラマでも、善良な1人の医師を登場させることで人間らしさを表現しています。その医師は患者のために努力するが、ある製薬会社に欺かれます。自分も依存症を患い、仕事をなくし、医療行為もできなくなる。それでもなお、医師は正しいことをしようとします。依存症を克服し、他の人を助けようとするのです。非常に美しい物語です。何百万もの人々に影響を与える大問題を取り上げ、それをほんの数人の登場人物に落とし込んでいる。そこには、自分たち変わることができる、という希望があります。これこそ、サイエンスコミュニケーションが学ぶべき点です。多くの人々に影響を与える大問題があり、自分ではたいしたことはできない。けども、自分の人生のなかで何か変化を起こすことはできる。  

出典: IMDB

私と妻はそのドラマ影響されました。ドラマを見た後、痛みを感じて通院したとき、その薬を勧められましたが丁重に断ったのです。そのドラマは、その手の薬は、たわいのないもの、通常の痛みに投与する些細なものではないと明確に伝えてくれました。優れた科学の物語だと思いました。  

クリエイティブ分野とその他の産業でコミュニケーションのあり方に違いがあると思いますか? クリエイティブの世界、例えばハリウッドでは、多くの人々と共有できる物語をつくろうとします。サイエンスコミュニケーションでもそのような傾向があると思いますか? 

物語を用いて伝達する、というアイデアは新しいものではありません。ブランドや商品をつくろうとするとき、たいていの場合、消費者が生活のなかで必要なものとしてストーリーを考え、発表するでしょう。ここで重要な概念が「願い」です。人々は願いをもっています。ハリウッドでは、「願いを叶えるビジネス」と呼んでいます。人生は完璧ではないし、思い通りにいかないこともあります。人は、幸運で、美人で、ハンサムで、金持ちの自分を願います。そのような空想をかなえる物語があるのです。けれど、生活に影響を及ぼす重要なこと、時には科学的なことを人々に教えるのは善良で立派な願いだと思います。  

一般の人々もそのような願いをもっています。かれらは信頼できる権威を望んでいます。問題の迅速な解決を望んでいる場合もあります。それが新型コロナウイルスの難しさでもあります。人間には体内時計があり、ワンシーズンの悪天候には対処できますが、コロナの場合は状況がずっと続いており、悪化してさえいます。人間にとっては非常に対処が難しいので、迅速な解答、早急な出口まれるのです。ハリウッドでは、視聴者の願いをかなえる方法を編み出してきました。コミュニケーションとはある意味、視聴者について研究し、かれらの願いを理解することです。そして、その願いを過度に単純化したり、薄めたりすることなく提供するのです。  

だから、一貫したコミュニケーションと、ものごとをシンプルにすることが大切なのです。大きな発見や出来事について論じるとき、実際には、生存の恐怖や不安を感じている人々の動物的な部分を相手にしているのです。なんとかしてかれらを安心させ、大丈夫だと思わせる必要があります。変化は少しあるかもしれないが、大半のことは変わらない、と。

誰もが身の回り世界をイメージしようとします。毎朝、新聞を2紙読み、今の世界についてイメージを思い描き、何が起こっているのかを理解しようと努めています。人々は絶えず世界のイメージをチェックしており、とくに信頼している人からの情報があれば、そのイメージを変える可能性があります。 

マスコミュニケーションのなかでそれにどう対抗するかは、答えの出ない問題です。人々は科学者をカメラから遠ざけ、映画スターやミュージシャンにメッセージを伝えさせようとしてきました。しかし、これにより抵抗を招くこともありました。たとえば、授賞式で政治的な発言をする俳優をよく目にします。それに対して多くの視聴者が、「あなたからそのような発言を聞きたくない。政治の何を分かっているのか? ただの俳優のくせに」と言います。人々は有名人を専門家だとは見なしません。おそらく、視聴者が共感できる普通の人々を登場させるほうがいいでしょう。人々は自分の世界に閉じこもっています。有名人や専門家、科学者といった人々が話すのを、フェンス越しに見ているのです。自分と似たような人、自分たちの世界にいる人々のほうが効果的でしょう。けれどもし有名人を通してコミュニケーションをとる必要があるのであれば、大衆の世界に属しているように見える有名人を選ぶといいでしょう。

テロリストの観察研究への参加について、今回の話との関連性があればお話いただけますか? 

シカゴ大学で、テロリストのコミュニケーション、とくに自爆テロの実行者を勧誘するために使われた動画を研究するグループに招かれたことがあります。そのグループの観察によると、初期の動画は非常にシンプルで、権力者が「西欧人は悪だ。奴らは我々の仲間を殺してきたのだから、やり返さなければならない」と声高に叫ぶものでした。その後、戦術が変わり、もっとハリウッドに近いアプローチが採用され、物語を語るのに、私の「ヒーローズジャーニー」モデルみたいなものが使われるようになったそうです。ある話では、ミッションを完遂した自爆テロ者の幽霊が登場し、自分がいかに聖戦士として覚醒し、命を捧げたかを語ります。私はシカゴ大学のグループとこの話を分析し、自分の見解を共有しました。

同グループ、同じツールを使って対抗番組をつくる方法研究しなかったの少し残念でした。例えば、自爆をもくろむ人が、何かのきっかけでそれをやめた、という話があるとします。私たちは、その人物を思いとどまらせたものは何かを分析できたでしょう。母親、家族、あるいは、自爆テロを実行すれば会えなくなるであろう人々かもしれません。もしくは、周りの人にどのような影響を与えるか、ヒーローではなく愚か者と見なされるかもしれないこに気づいたのかもしれませんん。他にもその状況を理解する視点があるかもしれません。それが私の求めていたものなのです。別の側面を見せる物語をつくるにはどうすればよいのか、ということです。 

テロリストの研究でご自身が望まれたように、たとえば反ワクチンのレトリックなど人々を魅了する物語をひとつ取り上げそれに対抗するストーリーをつくることができますか?  

できると思います。これについて非常にうまくやった番組を見たことがあります。たしかチェルノブイリに関するものだったと思います。科学者の問題と、その状況の重大性と危険性を伝えることに誠実に取り組んでいました。暗く悲劇的な状況でしたが、それでも、そこから教訓を得て、二度と同じことを繰り返さないようにできるかもしれないという、少しの希望を与えてくれました。これは、希望の余地を残す、という先ほども話にも通じます。

また、『ドント・ルック・アップ』と比較して、『博士の異常な愛情』という古い映画が頭に浮かびます。当時の米露問題に関する映画です。あまりにも多くの爆弾があると危険すぎるという問題も提起しています。その映画も最後は人類滅亡で終わりますが、エンターテイメント性を感じさせる面白い終わり方なのです。コミュニケーションにユーモアを活用している。まあ、当時でさえ抵抗感を示した人はたくさんいましたが。

科学者がもっと効果的にコミュニケーションをとる方法について2作の映画を紹介くださいましたが、科学者がコミュニケーションを専門とする機関と提携することについてどのようにお考えでしょうか? 

それは必要なことのように思ます。科学の分野で鍛えた頭脳には限界があると思います。かれらが自分の言語を変えることは非常に難しい。たとえば広告や販売、マーケティングなど、すでにビジネスに影響力をもっていて、やり方を分かっている人たちと、科学者が提携するのはすばらしいことだと思います。

アメリカで両方の機能をもっている人は数人です。例えば「サイエンス・ガイ」というテレビ企画をつくったビル・ナイ。それが彼の職業的なアイデンティティとなっています。あるいは、イギリスのアッテン・ボロー。自然について美しい語り口で表現しています。同様の試みをする医師もいますが大衆が理解できるように伝えると、とりとめのない話になってしま、科学的ではなくなるので、議論の余地も残ります。それでも、そういった人たちが必要であることは確かです。  

もしこのパンデミックを映画にするなら、あなたならどのようなキャラクターとサブプロットを用意しますか?

私なら、科学者医師、ウイルスに最初に気づいた普通の人々最初の感染者に対応した人々の一団が登場する映画を売り込むでしょう。いろんな反応を示す人々、たとえば「医者の言うことなんか聞かないぞ」という人や、「大統領の言うとおり、消毒液を飲むべきだ」と言う人も登場させ、その選択がどのような結果をもたらすかも描くと思います。さまざまな考えを代表するキャラクターをつくるのは簡単です。ストーリーに関しては少なくとも3つのレベルをつくります。最上層にいる人々、それよりも下々に近い立場にいる科学者や医療従事者そして状況に応じて異なった行動を起こす人を3〜4人。これらの人々は、友人、恋人、あるいは同一家族内の、世代の異なるメンバーかもしれません。

ストーリーへアプローチするときは、なにかしらの想定をするものです。私は科学を信じているので、クリエイターとして、科学が解決できる問題としてストーリーにアプローチします。その途中で間違いや試練も起こりますが、最終的には科学が私たちを救ってくれる。それが私の信念です。おそらく政治色の強い映画だと正反対の見方をするでしょう。けれど私は、人類がどのように戦いに勝ったのかを示す、ポジティブなストーリーをつくりたいと思います。これは、未来にかならずやってくるものに対する警告として重要になるでしょう。 

重要なのは、現実的なコミュニケーションです。限界や試練、失敗のなかで、人々のために学び、努力する姿、それが科学の仕事だと思いますが、それを映し出すことです。権力をもったり、大衆を従えたりするために科学を志すわけではありません。多くの科学者たちは、課題解決に興味があり、人々の役に立ちたいと思うからこの道に進むのです。そのように私は信じています。  

研究論文には普通、決まった型があります。通常、分かっていること、発見したこと、限界、そして将来の展望について論じられます。しかし、一般の人々に話すときには乖離があるように感じます。  

そうなんです。その話題を振ってくれてありがとうございます。これについては、自分が何を伝えたいかを知ることだと考えています。科学は世界を救うと私は思っていますし、人によっては、科学は人をだまそうとする、信頼できないと言う人もいるでしょう。それらは仮定です。科学では仮説と呼ばれるものです。それからストーリーを作り、成り行きを見守る。物語によってその仮説が証明されるかもしれないし、そうでないかもしれません。物語自体に命が芽生えますから。キャラクターが自分にとって本物になり、ある場所へと導いてくれるのです。さまざまな答えを得られるでしょう。けれど一般的には、自分の仮定と合致したストーリーをつくります。文章術では、それを作品のテーマと呼びます。テーマとは、「愛はすべてに勝る」とか「科学は友達」といったものです。それがすばらしいメッセージになると思いますが。  

テーマを自覚する、ということは、科学者にコミュニケーションを教えるうえで非常に重要な部分です。テーマが分かれば、プレゼンテーションの選択肢や重要性を決めることができます。どのようなテーマであれ、コミュニケーションのなかでそれを意識していれば、強力なものとなるでしょう。  

他者と共有したいという、クリエイターの原動力についてお話しいただきまし。最近、多くの研究者と出会ったので、自分の科学を一般の人々に伝える必要性を感じるかどうか尋ねてきました。大半の人たちは、必要性は感じないけれども自分の仕事のひとつだからやっている、と回答しました。科学者は自分のつくった物や発見をどのように共有すべきだと思いますか?

科学者とコミュニケーターは互いにそれほどかけ離れた存在ではないと認識する必要があります。どちらにも創造性とひらめきがあります。科学者がある問題について考えあぐねて、一晩寝たら答えが見つかった、という素晴らしい話もあります。  

あなたの頭や心に宿るものは何でしょうか? それを解き放って、それについて人々に語る方法を見つけて、自分の考えを共有するのが一番なのです。科学者にはすべきことがあると思います。人間的な側面に触れて、自分たちの感じる感動を伝えなくてはなりません。

その必要性を、科学者にどのように説明しますか?

私なら、そもそも、かれらはなぜ科学の世界に入ったのかを尋ねるでしょう。漫画のヒーローのように原点となる話があるはずです。それが非常に大切なのです。原点に立ち返ってみましょう。先生に触発されたとか、テレビ番組で見たとか、顕微鏡や望遠鏡をもらったとか、あるいは裏庭で葉っぱのうえにアオムシを見つけただけかもしれません。それは素材として興味深いものなので、科学者でない人々に、「なにか学べそうだ」「どこか面白そうだ」と思わせることができるでしょう。 

想像すること。視聴者の心の奥深くの願いを発見したり、自分が科学者になりたいと思ったときに望んでいたものを思い出したりしてください。私の願いは映画に携わることでした。映画の世界はとてもすばらしいものだと思っていたので、スクリーンを引き裂いてでもそれを叫びたかった。科学者も似たようなところがあるのではないかと思います。それこそが、伝えべきものなのです。そうすることで、人々の心のなかでの科学の評価が高まるだろうと思います。  

クリストファー・ボグラーが推薦する参考文献 

 

  • Wired for Story by Lisa Cron(邦訳『脳が読みたくなるストーリーの書き方』リサ・クロン著 、府川由美恵訳。フィルムアート社、2016年) 
  • Writing in Restaurants by David Mamet 
  • Writing Down the Bones by Natalie Goldberg (邦訳『書けるひとになる! : 魂の文章術』ナタリー・ゴールドバーグ著、小谷啓子訳、扶桑社、2019年) 
  • Story by Robert McKee (邦訳『ストーリー : ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』ロバート・マッキー著、越前敏弥訳、フィルムアート社、2018年) 
  • Memo From the Story Department: Secrets of Structure and Character by Christopher Vogler and David McKenna(邦訳『物語の法則 : 強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術』クリストファー・ボグラー、デイビッド・マッケナ著、府川由美恵訳、KADOKAWA、2013年) 

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