これぞニッポンの国立大学法人だ! と言える新しい大学経営モデルを作りたい
- 大学経営日本語記事
- May 1, 2019
2012年に文科省が実施し、各大学に設置を要請した高度な研究マネジメント専門人材であるURA(ユニバーシティリサーチ・アドミニストレータ)。しかし大学によってURAの仕事の解釈や位置づけは様々。そんな中、「URAは大学経営人材だ!」と明確な方針を打ち出し次々と尖った組織改革を行う北海道大学URA事業のキーマン、 川端和重副学長・理事に北大URAのヴィジョンを伺った。
インタビュー 北海道大学 副学長・理事 川端 和重(かわばた かずしげ)氏
聞き手 湯浅 誠
ー研究担当理事が川端理事に変わられてから、北大URAはかなりドラスティックに変わったとお聞きしています。ヴィジョンを教えてください。
2004年に国立大学法人化が起きましたよね。それから日本中で、「大学経営」というキーワードが盛んに使われるようになった。では大学経営は企業法人と同じ経営じゃ意味がない。じゃあ国立大学法人だからできること、大学経営だからこそやらなきゃならないことって、いったい何だろうと。 この答えは国にではなく、社会に対して問う必要がありました。
僕が北大URAでやろうとしていることは、それを問うためのシステムを作ること。北海道大学の個性を打ち出して、日本の国立大学法人の経営とはこういうものだ!という一つのモデルを作りたいという思いがあります。その思いはまだ、空回りしていますけれど(笑)。
ー企業経営にはない、大学経営の意義ってどんなところにあるのでしょうか?
今までの国立大学って、個性的な研究者を集めてホチキスでガチャっと止めたら成立していたんです。でも法人化してからは、社会や企業、地方自治体と協働する機能が重要になった。例えばスマートフォンを作って社会に流布し、経済効果をあげることが企業の役割だとしたら、そのもっと先、スマホが普及した社会や産業構造はどう変わるかを予測するところまでカバーするのが大学の役割です。
今、北大でやっているプロジェクトに「北極域研究」がある。この研究では温暖化の影響で北極の氷が解けてできるヨーロッパと日本を結ぶ北極海航路を実現する試みをしています。北極海航路ができるとヨーロッパから日本への物流拠点が神戸や東京ではなく苫小牧になり、日本の物流が変わります。
そこから様々な社会や産業の変化が起きる。僕らは温暖化の予測や実証データ、ロシアや中国が絡む政治的な問題を含む国家リスクなど、北大を拠点にして情報を集め、企業も巻き込んで様々な研究・実装を行い、社会を変えたい。これは大学だからこそできる「社会実装」です。
ー研究担当理事としての川端理事のお仕事はなんですか?
営業ですよ。実現のために資金調達をする。国だけじゃなくて、民間、地方自治体、市民に向けてこんなことをやりますから、どうぞ投資してください、出資してくださいと歩いて回っています。「一緒に社会を変えましょう」と話をしに行くんです。
多くの企業のトップは面白がって下さるし、僕らも企業の経営者から学ぶことが沢山ある。その対話の中で我々大学自身の「個性」を模索しています。北大URAが企画し立ち上げた「グローバルファシリティセンター」の取り組みは、北大の特徴を活かした「個性」としてこれまでにない産学協働事業を始めた事例の一つになりました。
ー川端理事は北大のURAでは経営人材を育成することが目的だと明確におっしゃっていますが、この方針の裏にあるヴィジョンはどんなものですか?
今までの大学には、研究者と事務職しかなかったんです。企画をしたり、経営に必要なデータを集めてそれを発信したりっていう部隊がいなかった。産学連携本部っていうのが各大学にはあって、企業と大学をつなぐコーディネートはやっていたけれど、大学全体の組織をデザインする役割ではなかった。僕の目指す北大URAはその穴を埋める、大学経営のための実行部隊を作ることです。
でも前例や経験がない。だからフラットなURA組織を作って、僕自身が経験する大学経営改革の修羅場、僕がのたうちまわる姿を一人一人のURAに現場で観てもらっています。その経験を通じて彼らが次の世代の経営者に育っていくはずだと思う。側でヴィジョンを実装してくれる彼らの存在が僕にとってすごい力になっている。
大学の経営というのは、研究者がやることも、企業から人を引っ張ってくることも難しいんです。 研究者っていうのは、アカデミア以外の社会を全然知らない人が多いですよね。組織の運営のことは殆ど知らないから。かと言って企業経営者を連れてきても企業と大学法人は絶対的に違う。
だから、学位を取っていてある程度ポスドクや特任助教なんかを経験した後、30代から40代ぐらいで、研究もいいけどマネジメントも面白そうだな、という人がURAになり、将来経営を担う存在になっていくのがふさわしいと僕は思います。
かといって北大のやり方が全てではない。大学によって状況はいろいろですから。各部局が強くて意思決定が分散型の大学もあれば、北大みたいに部局がそんなに強くなくて、中央集権型の大学もある。まあ大学の性質によっていろんな事情があるわけです。北大でも、今のURAステーションのやり方がすべていいとは僕は思ってないから。
僕が他の大学にいって研究担当理事をやれと言われたら、その大学のカルチャーにあわせて今の北大のやり方とは全然違うことをやると思います。 この環境に1番チューニングしてたらこんな形になってるっていう気がします。
ーこれから北大URAはどんな方向に進みますか?
経営というのは極めて流動的ですよ。世の中の環境とか、国立大学法人の置かれてる状況はどんどん変わっていくから、それに合った形にURAもどんどん変わるべきです。定まりきっていないからこそ、1番最初に変わっていきますよURAは。
でも少なくとも、 国立大学法人というものの、新しいモデルを1個作りたい。さあどうだ、これがニッポンの国立大学法人というものだぜ!っていうモデルを。日本は常にアメリカのものを真似してきた。でもちゃんと日本版の大学のモデルを作らなくちゃ。アメリカの人たちが、日本の大学はすごいね、っていうようなものを。今はそこに燃えてますけれどね。
雑誌「ScienceTalks」の「北海道大学URA 大学戦国時代を生き抜く経営人材としてのURA」より転載。