「研究者には90%の研究時間を確保する仕組みをつくるべき?」
鈴鹿医療科学大学学長・豊田長康氏インタビュー(2)
- 日本語記事インタビュー日本の研究ファンディングを考える
- August 27, 2013
大学の研究費をを増額する上で、費用の効果的な運用に必要とされるのは、“大学内での研究者、研究対象の適切な選択と集中”。その方法に関して豊田先生独自の視点を伺いました。(※以下、敬称略)
【湯浅】 日本の研究費の問題として先生が挙げられている1つ目は、研究費の総額、それが第1の論点ですね。現在の総額は適正なのか。諸外国と比べて研究費の総額そのものが伸び悩んでいるという議論がありますが、そもそも総額を増やすことが今の日本に本当に可能なのかという疑問があります。
当然大学にとっては、増えてくれればメリットはたくさんあると思いますが…。三重大学では、非常にすぐれた研究をされている方がいらっしゃいますよね?
【豊田】 中にはね。
【湯浅】 研究費の増額を語るにあたって、研究費を支給される側の大学自体もしっかりと自分の大学はどこに強みがあって、どの分野にどれぐらい優秀な研究者がいるのかを把握しなければいけないのではないでしょうか。その上で、全国的に大学の研究費を底上げしてくれ、というのは現実問題難しいとしても、せめて優秀な先生方がいる領域だけでも増やすべきだとか、研究費総額に限界があるのであれば、そういったスポットライト的な配分の議論になってきますね。
【豊田】 おっしゃるとおりです。大学内での適切な選択と集中ですね。というよりも、研究者の数と研究時間が確保できる部分をつくるということです。大学内ですべての教員に平等に教育の負担を課して、研究時間と研究費を配分するというやりかたは、上位大学では当たり前のシステムですが、教育負担が大きく、教員数も削減されつつある余力の小さい地方大学ではもう限界だと思います。研究中心の教員と教育中心の教員に分けざるを得ないのではないか。
研究中心の教員には、90%の研究時間を確保する仕組みをつくるべきです。日本は少しでも研究に関る可能性がある人を、研究者数としてカウントしているのですが、活動の90%を研究に振り向けることのできる人数が、ほんとの研究者数なのではないでしょうか?
【湯浅】 確かにそうですよね。
【豊田】 僕は、若いころ三重大学の医学部の臨床医学講座で研究をしていたのですが、夕方まで教育と診療の時間を取られ、研究を始めるのは夕方からです。これでは、なかなか外国と戦える研究はできない。やっと、十分な研究時間が得られたのは、海外の大学へポスドクとして留学した時でしたね。
そのような研究に専念できる仕組みを、地方大学内でも作る。大学内にバーチャルな研究所や研究センターを創るのも一つの方法だと思います。そして、そのバーチャルな研究所や研究センターを、複数の大学で連携していっしょにやることも可能かもしれない。もちろんバーチャルでない研究所や研究センターができればそれに越したことはありませんが…。
【湯浅】 複数の大学と連携したバーチャル研究所ですか。面白いですね。
【豊田】 ただし、基盤的な運営費交付金が削減される中で教員数を減少させつつ、大学内で、学長のリーダーシップで選択と集中をせよというのは、現実的には無理です。やはり、湯浅さんのおっしゃるように、選択と集中する部分にお金をつけていただくということが必要です。
それに関連して、現在国はミッション再定義と称して国立大学の各学部とヒアリングを行い、教育学部のミッションが教員養成であると答えると、それでは、いわゆるゼロ免課程は不必要ですから縮小してください、と言われています。教育学部を縮小するのなら、その分、地方大学で強みのある部分を選択と集中して世界で戦えるようにするために、お金を回してほしいですけどね。
【湯浅】 うーん。なるほど。
【豊田】 このような教育学部縮小の政策を見ていると、ひょっとしたら国としては、国立大学はイノベーションに直結する学部を国費で支援し、イノベーションに直結しない文系などの学部は私立大学に任せてもいいのではないかと考えているのかもしれないとも感じますね。つまり、国立大学はイノベーション大学として特化する。
教育学部のゼロ免課程の縮小に対しては、反論するロジックはなかなか難しいと思うのですが、ただし、僕が学長をしていた三重大学では、中国の天津師範大学との学部レベルでのダブルディグリー制度が、教育学部のゼロ免課程にあるために、今回の教育学部の縮小政策に伴って、つぶされてしまう可能性があるんですね。日本国としてせっかくの素晴らしい制度が、杓子定規の選択と集中政策でつぶされてしまうことは、ほんとうに残念に思います。もうちょっと、柔軟な選択と集中政策をしていただかないと、日本の国力の低下を招いてしまいます。