なぜコロナ陰謀論に根本から挑む必要があるのか
陰謀論と闘うには、情報攻撃ではなく、その裏に隠された動機に働きかけることがもっとも有効な戦略かもしれない
- ポスト真実のパンデミック記事
- February 1, 2023
新型コロナウイルスに関する陰謀論はパンデミックの初期に広まった。中国が生物兵器としてウイルスを開発したという説や、ビッグ・ファーマ(大手製薬会社)がワクチンで儲けるためにウイルスを放出したという説、ビル・ゲイツが大衆に追跡用のマイクロチップを埋め込むためにパンデミックを起こしたという説もある。これらの作り話(と思われるもの)の多くは互いに相反しているが、ひとつだけ共通点がある。どれも、やっかいだが面白くもある話を信じてしまう、人間の心理を食いものにしている点だ。そのような話は、メディアによって過度につながり合っている現代世界では、とりわけ容易に広まってしまう。しかし、それらの発生と伝達を遅らせる方法がいくつかある。
ケント大学の3人の研究者が発表した陰謀論に関する総説論文によると、人が何かを信じる動機は、「認識論的」「実存的」「社会的」動機の3つのカテゴリーに分けられる。つまり世界の成り立ちを知りたい、自分を守りたい、社会的地位を維持したい、という動機が関連しているということだ。
認識論的動機という点から言うと、陰謀論はあいまいでややこしい現象について簡単に理解するために使われることが多い。世界は不可解な仕組みで動いていること、カオスに満ちていることを受け入れるよりも、将来を予見するのに役立つ単一の要因を人は好むわけだ。多くの人にとっては、凶暴なウイルスをたまたま作り出した無数の進化と生態系の作用について想像するよりも、陰謀組織が伝染病を広めて有害な「治療法」を与えたと考えるほうが、ずっと満足できるのだ。また、因果関係の対称性を考えると、たくさんの小さな要因があるより、ひとつの大きな主因があるほうが、より正しいようにも思われる。多くの場合、大きな結果(大木を倒す)には大きな要因(強烈な一撃)が必要であるからだ。そして、地球規模のパンデミックは、巨大で重要な「結果」である。
私たちが過去を理解して未来を予測したいと思うのは、そうすることで自らの運命をある程度コントロールし、存在に関わる問題(安全に生き残るための心配事)に対処できるからだ。そのため、もし誰かが糸を引いていることが分かったなら、その行動に影響を与えることができるかもしれないと考える。研究によると、人間はパンデミック時のように状況が自分にコントロールできないと感じる時、パターン(特に、操作できそうなパターン)を探すことでその埋め合わせをしようとする。そのようなパターンの模索が陰謀論や呪術的思考につながることがある。たとえば、Science誌に掲載されたある実験によると、被験者に取り組ませたタスクへのフィードバックをランダムな内容にしたり、無力感を感じるときを思い出させたりすると、自己採点でのコントロール欲が高まった。また、ノイズ加工を施した画像ににイメージを見出したり、迷信深くなったり、仕事のEメールのなかに職場の陰謀を読み取ったりするようになった。
社会的動機という点では、人は民族的、経済的、あるいは政治的な理由で拒絶されていると感じると、他者が自分に対して陰謀を企てているのではないかという疑惑が高まる。私たちは正義を、それが手に入るのであれば、自分の人生に意味があるのであれば、求めたいと思うものなのだ。ある研究では、被験者が疎外感を感じた時のことを思い出すと、人生の意味を求める欲求が高まり、製薬会社が利益を得るために治療法を隠している、といった陰謀論への支持も強まった。また、他の社会的動機として、自分自身を守るために他者に責任をなすりつけたい、という思いもある。
エコーチェンバー現象により陰謀論が助長される可能性もある。私たちは、自分と意見を同じくする人たちと交流して話を聴き、中立的な情報には耳を貸すことなく、極端な見方を身につけてしまう。近年の研究で、FacebookやTwitter上でワクチンの効果について似た考えをもつ他者と緊密につながっている人ほど、そのトピックに関して強い信念をもっていることが分かった。信念により強い集団が形成され、最終的には虚偽の証明に抵抗するようになる。たとえば、陰謀論を信じている人がその誤りを指摘されたとしても、指摘した人が陰謀の一部であると思うだけなのだ。
ある種の個人特性が陰謀論を信じやすくさせることもある。コントロール欲や教育の欠如、ものごとを分析的にではなく直感的に考える傾向、妄想症を引き起こすナルシシズムなどだ。
陰謀論は、人々の命を救うワクチンを拒否して健康被害を受けたり、周囲との不和を招いたりといった悲劇的な結果を招くかもしれない。。マスク着用義務の違反に対する意見の相違が暴力沙汰に発展する出来事も起きている。ケント大学の研究者たちは、たとえ、ある種の心理欲求を満たすために無意識に陰謀論を支持しただけだとしても、その信念が裏目に出るかもしれないと指摘する。権力をもった誰かが自分の運命をコントロールしていると考えると、諦観の境地に至り、民主主義へ参加しなくなる。疑心がさらなる不信を呼び、疎外感を強める。一方で、抑圧された人々による仲間同士の活動が建設的な行動につながったりすることもあり、実際、いくつかの陰謀論の中には現実に起こっていたものもある。
幸い研究者が誤った陰謀論やその他の誤情報に対抗するために、いい方法がいくつかある。その1つは、一種の情報の予防接種だ。フェイクニュースはひとたび体内に入ってしまうと、治療法はないかもしれない。ある研究によると、ワクチンの安全性に関する情報をいくら与えても、それがワクチンの危険性に関する主張の後に与えられるのであれば、子どものワクチン接種に対する躊躇を減らすことにはならなかった。しかし、危険性に関する主張の前であれば効果があった。
もう1つの介入方法は、人々は虚偽を広めたいわけではなく、たいていは真実と嘘を見分けることができるが、多くの場合その情報の正確さを分析する動機がないという考えに基づくものだ。少なくとも「いいね」や「シェア」が報酬となるソーシャルメディアにおいてはそれが言える。研究によると、被験者にニュースの見出しの正確さを採点するよう求めた場合は、分析的な思考を経てコロナに関する正しい見出しをシェアする傾向が見られた(ただし、虚偽の見出しを共有する可能性も低くなかった)。SNSユーザーが情報をシェアする前に、その情報の正確さについて考えるよう促す仕組みづくりを研究者らは提案している。
陰謀論は、私たちが世界についての説明を求め、他者の企みを気にかけているかぎり、なくなることはない。パンデミックのような危機的状況は、新たな疑惑を次々に生み出す一方で、科学者たちがその現象を研究し、介入方法を探す機会も生まれている。そのような作り話が、人類の暗く疑り深い側面を照らし出す一方で、私たちの独創性と、安全で公平な世界を求める心も映し出されている。
陰謀論とたたかうためには、作り話に真実で応戦して情報合戦を繰り広げるのではなく、その裏に潜む動機にアクセスすることが最善かもしれない。「あなたは間違っている」とだけ言うのではない。その根底にある孤独感や不安感、そして社会に浸透する無力感を解決しなければならない。それこそが、より大きな問題なのである。