[研究+教育] × [情熱+狂気]=∞ [ムゲンダイ](5)
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- April 23, 2018
Science Talks LIVE、第3回のトークゲストは京都大学・高等教育研究開発推進センター長の飯吉透氏。研究者にとって教育とは、研究時間を奪う厄介者――とは限りません。最先端の研究者こそ、 最新のプラットフォームを使って教育に貢献し、そこで得た知見を研究や人脈作りの訳に立てています。アメリカを含む複数の事例を交えながら、研究者と教育の上手な付き合い方について、また、日本の教育を取り巻く問題についてもお話をいただきました。
日本の大学は水族館のイワシ水槽? 活性化と淘汰の分かれ道
飯吉 アメリカの大統領はもうあと数時間で交代になるわけですけれども、オバマ政権は過去8年間、オープンエデュケーションを推進してきました。彼が素晴らしかったのは、最初に就任したときから、在任中に実現したい目標として、オープンエデュケーションの拡大を挙げていたことです。アメリカにいる人全ての人、アメリカ国民だけではなく、アメリカに住んでいる移民とかグリーンカードで働いているいろんなビザで働いている人も含めた全ての人に、高等教育へのアクセスを経験させると言っていた。1つの授業でもいいから高等教育を受けられるようにしたいと言って、100パーセントはいきませんでしたが、普及率はかなり上がりました。
日本の何が危ないかというと、定員に満たない大学が40くらい、全体の40%くらいありますよね。京大でもこういうことを、共通教育の前期の授業で1年生にゼミとして教えるわけですが、そこである女子生徒からこんな意見がありました。水族館にイワシの水槽ってありますよね。水槽の中には天敵がいないから、イワシはみんなだるい感じで、餌を待っているだけなんですね。そうするとお客さんはみんなつまらないな、イワシだるそうだな、ということになるので、水族館なのに天敵のマグロを水槽に入れてみた。そうしたらピチピチ動き出して、何百匹かで魚群を作って大きな魚に見せるとか、ありますよね、そういう激しい技を本能に任せて披露して、お客さんは大喜びというわけです。日本の大学は今この水族館のイワシ状態になっていると、彼女は思ったらしいんですね。すごいなと思って頭を垂れましたけれども。オープンエデュケーションは多分マグロみたいな天敵の役割を果たして、大学の淘汰も加速するんじゃないかみたいな話ですよね。大阪に海遊館っていう水族館があって、行って実際にイワシを見てきましたけれども。まあだるかったです、僕が行った日は。
大学って教育の機関であると同時に研究の機関でもありますから、大学が駄目になるっていうことは研究も駄目になるということなので、そこのところは同義だと思っていただきたいですけれども。パンフレットの表紙が犬とかになってきた時点でまずいのかな、なんて思いますね。人間だけじゃなくて犬にも学位をあげないとビジネスとして立ち行かなくなってきたんじゃないかということで。猫に小判で犬に学位か、なんてちょっと考えてしまいましたけれども。
そんなものは壊れてしまえ、壊れる大学はイワシ缶になってしまえというのは面白い発想ですね。MOOCのような新しい仕組みはこの大学を元気にしている部分もあるかもしれないですが、実はこうやって淘汰している部分もあるんですよね。面白いのは、淘汰しているものをつくり出しているのは大学自身だというところで。
こういう中で、研究者も、もちろん若い学生さんも、一体何をやっていかなければいけないか。10年ほど前にシリコンバレーの、IDEOというデザインコンサルティング会社の人が言い出した言葉で「T型人材」というのがありましたね。特定の専門分野があって、専門的な知識、能力を活かしながら、それ以外のことについても幅広く知っている人、というような意味でしたけれども。
最初の方でも少し言いましたが、例えば今の京大も、コミュニケーションが巧く取れない生徒が多いです。いろんな分野の人とコミュニケーションを取らなくてはいけないし、自分の言っていることをいろんな人に説明もできなくてはいけない、サイエンスコミュニケーションやそういうことも大事だと言われている。これにオープンエデュケーションが加わってくるんですね。大学のときには自分は理学部、工学部だったという人も、何か新しいビジネスをやりたいからちょっと経営のことも勉強したいという風に思えば、オープンエデュケーションやMOOCを使って、例えばMITのMBAですね、ビジネススクールのコースが取れたりするわけです。そうやって複数専門を持つ人を僕はくし型人材、すだれ型人材と呼んでいますけれども、これからはこういうのが結構常態化してくるんじゃないかと思います。今日のトピック、テーマにかなり近づくと思うんですけれども、自分のタコツボから脱する、Tの1本の棒だけを持っているところから脱していくということですね、世界というか社会全体がこうなっていく。
LIFEゲーム、人生ゲームってあるじゃないですか。日本では僕が小学校の頃、40年前くらいに出た、億万長者になるか、貧乏になるか、そういうゲームですけれども。お金持ちになるために子どもを売れたりしたんですよね、すごいゲームが市販されていたものだと思います。しかも男の子の方が女の子よりも高く売れるという。これはもう公民権運動とか女性の投票権とかそういうレベルの大問題だと思いますけれども、教育の観点から見ても今見るとひどいゲームで、アメリカで作られたのは今からもう70年近く前なので、その当時はそういう社会だったから仕方ないのかもしれないですが、教育というのはほとんどないがしろにされています。みんなで遊び始めて、だいたい最初の10分くらいですかね、大学に行くか行かないかみたいな選択肢が出てきます。大学に行くと弁護士とか医者になれるんですね。給料がすごくて、途中で事故にあったりしても大体最後は億万長者になれるんですよ。最初の10分が勝負というのが人生ゲームの肝なんですよね。ですから、何回か遊んでそれが分かるとみんな必ず大学に行くようになります。ただその後、大学を出て職業が決まった後はもう教育は関係なくて、そういうコマは全然出てきません。
人生ゲームは今も色々出ているので調べましたけれども、一時期、自分版というのがあって、結婚の引き出物として自分の写真で作るという、あっという間に消えたらしいですけど。今離婚率も結構上がってますからなかなか厄介で、差し障りがあったんでしょう。アメリカなんかではアウトロー版というのもあって、逮捕されて刑務所に行くような人の人生ゲームも出てるんですね。これもすごく勉強になります。いろいろな道を通って、いかにその人が刑務所に行くかを反面教師的に学べるという、すごいゲームですが、これも今の時代おかしいだろうと。職業が早い時期に決まって、そのままずっと行って金持ちになる、貧乏になるというのは、必ずしもそうではない。こんなのはとんでもないから、俺たちで新しい人生ゲームを作ろうじゃないのということで京大の大学院のゼミ生に声を掛けまして、半年かけて約10人で新しい人生ゲームを1から全部作りました。うまく行ったらタカラトミーに売りに行こう、みんなで大金持ちになろうと言って作ったところ、こういう結果になりました。生涯学習は大切、職業はなし、その代わり、それぞれの人にポケモンなんかにあるようなステータス値のようなものがついていて、例えば情報とかそういうものについてはどうだとか、感情はどうか、何とかに対する考え方はどうなのか、そういう多種の技能についてインジケーターが出てくる。学んだり、何か巧く行くと報酬や褒賞が出るとか、面白かったですね。あるコマに誰かが止まると、核戦争の危機みたいなことになったりする。その時に全員のあるステータスが一定値に達していないとそこでゲームが全部終わり。皆さん笑ってますけどね、あと数時間で核ミサイルのボタンを押す人が変わりますから、そういう世界も結構身近で、核戦争何分前みたいなことがまた起きないとも限りません。こういうの、ぜひ製品化したいとか買い取りたいって人がいたら後で来てください。
いろんなものがパーソナライズされてきていて、新聞に大広告を出したところで誰が読むんだという、みんな携帯に個別化対応された広告が出る時代に、教育というのは未だに学校の中で、このコースに入ったらこれの後はこれを取りなさい、つまずきましたね、さようなら、なんてやっている。これで良いのかと思いますね。仮に大学でちゃんとうまく行って卒業できても、その後の人生で待ってることというのは大会社に入れるかどうか。いい大学を出ていい企業に入って、そうしたらアメリカの変な原発の会社買っちゃて7000億円、大変だみたいな話になるご時世ですから、何が安定しているのか、何が大事なのかが分からなくなってきた。この中で教育というのをどういうふうに考えていかなくちゃいけないのかというのは本当に重要な話です。
繰り返しになりますけれども、研究者になる人というのももちろん教育は受けますし、また大学では研究者である人も教育に携わっているわけですから。ここのところが崩れてしまうと、結局日本の研究力、研究の世界というものはもうほとんどアウトソーシングしないといけないというような危機的な状態に陥ってしまう。だから、オープンエデュケーションについては、教育の世界ではそんなめでたいことが起こっているんだねと思ってくださるのもいいんですけれども、実際はそれがブーメランなわけですね。研究であるとか、社会の活力、バイタリティーであるとか、そういうものに全部戻ってくるんです。
じゃあ今日本はどうなのか、世界はどうなのかということで、きょうは非常にそういう意味で記念すべき日なんですけれども、これからまた駒井先生とお話していこうと思います。