研究には終わりも無駄もない──つねに進化する、生きた学術出版エコシステムをつくる

研究には終わりも無駄もない──つねに進化する、生きた学術出版エコシステムをつくる

F1000Researchとの提携について筑波大学の職員から話を聴くと、誰もがマネージング・ディレクター、レベッカ・ローレンスの魅力的を語る。「彼女のヴィジョンと素敵な笑顔は、明るい未来を確信させてくれるんですよね」、と多くの人が口をそろえるのだ。大学側のニーズを理解し、今回の提携を実現させたレベッカの手腕には疑いの余地がない。キーパーソンであるレベッカが、従来の出版モデルからの脱却に向ける熱意と学術出版の未来への自身のヴィジョン、そして筑波大学との提携と、最近起きたTaylor & Francisによる買収についての裏話を明かしてくれた。


F1000とその哲学

F1000はヴィテック・トラーツが2002年に創立した会社です。もともとはFaculty of 1000という名前で、当初は生物医学分野の1000人の研究者が出版された膨大な論文の中から注目すべき研究を推薦するサービスを提供していました。ヴィテックは「オープンアクセスの父」として広く知られている人物です。過去にはCurrent Opinion誌の創刊に携わり、出版社であるBioMed Centralを創設しました。Current Opinion誌ではその年の主要な研究テーマを研究者が総合的にレビューして、影響力の大きい論文を公表するという実験的な試みをしていました。他方、BioMed Centralはオープンアクセス出版の草分け的存在です。どちらの取り組みも当時の学術出版の先端をいくもので、より良い学術システムへと変革を目指すものでした。

F1000の創設も同じ流れにあります。2000年になる頃には世界の論文数が跳ね上がり、数多くの論文のなかから読者が価値の高い研究を見つけるのが難しくなっていました。また、学術雑誌の影響度を指すジャーナル・インパクトファクターが、研究成果の質を示す唯一の指標として捉えられるようになっていました。F1000はこのインパクトファクター至上主義に一石を投じ、たとえ影響力のあるジャーナルには掲載されていなくても質の高い研究に光を当てることを目指したのです。

ヴィテックのヴィジョンに刺激を受けて、私は2009年にF1000へ入社しました。前職では製薬業界に対して出版に関するソリューションを提供する仕事をしていました。通常、製薬に関わる最新の研究成果は主要な学会でポスター発表されます。製薬業界は最新の発見に常に目を光らせており、様々な学会でポスター発表を見るのに膨大な時間とお金を投資しています。学会で発表される研究の大部分は出版されませんので、学会に出席できなければ、その後は二度とその研究成果にアクセスすることができないことがほとんどだからです。

このような状況を受けて、2010年にヴィテックと私はF1000Postersを創設しました。研究者が学会でのポスターやスライドを広く自由に共有できるようにしたのです。これが2013年にF1000Researchとなり、F1000の革新的なオープンリサーチ出版部門として、即時出版と透明性の高い査読過程を提供しています。

オープンアクセスの先にある課題に取り組む

F1000Researchの事業のなかで、私たちが取り組んでいる課題は5つあります。どれも、従来の出版モデルにおいて研究成果の普及を阻む要因となっているものです。

ひとつは、投稿から出版に要する時間です。研究者が何かを発見したとして、他の人と共有できるようになるまでには何か月、あるいは何年もかかるのです。

それから、研究成果の元となる基礎データへのアクセス権がないことも問題です。データは研究の核となるものです。出版された研究の要約について、査読者がその研究の核となるデータを見られないまま査読をしなければならないなんて、おかしいと思いませんか?

また、不透明なピアレビュープロセスも重大な問題です。従来のジャーナルでは、ピアレビュープロセスは一般的に密室で行われています。多くのジャーナルでは一重盲査読が採用されており、執筆者は査読者が誰なのかも、採択(あるいは不採択)の理由も知らされません。そのようなシステムでは多くのバイアスが生じます。

さらに、私たちは査読者による貢献の認知度が低い問題にも取り組んでいます。査読は有志によるもので、多くの場合、査読者の名前は公表されません。その結果、彼らの貢献が広く認知されることもありません。査読者は若手研究者のトレーニングを兼ねて一緒にレビューを書くことが多いので、それらの若手研究者の功績も評価されるべきだと思うのです。

最後に、出版バイアスと研究の無駄の問題です。多くのジャーナルは、特定の論文、興味深いと思われる論文、究極的には引用数が多くなりそうな論文のみを出版します。その結果、多くの研究成果が日の目を見ません。ネガティブな研究成果や再現・反証実験の結果はほとんど出版されません。それらの研究ひとつひとつは規模が小さなものかもしれませんが、全部合わせると、出版されるべき重大な研究になるかもしれないのです。従来の出版モデルによるバイアスは、膨大な研究の無駄を生んでいます。イアン・チャーマーズ卿が指摘するところによると、臨床研究では研究の約85%が最終的には無駄になっており、莫大なお金と時間、そして努力が浪費されているのです。

これらの課題を解決するためには、出版のすべての段階で研究者が主導権を握ることが大切で、それこそがF1000Researchの目指すものなのです。私たちはプレプリント・サーバーの利点を従来型のジャーナルの利点と組み合わせ、著者主導型のモデルをつくりあげています。研究者が自分の研究成果を自由にダイレクトに共有し、読者が即座にその研究成果にアクセスすることを可能にしています。さらに、研究の基礎データに関しては、見つけられる(findable)、アクセスできる(accessible)、相互利用できる(interoperable)、再利用できる(reusable)という「FAIR」の原則にのっとっています。

私たちの出版モデルについて、もう少し詳しく説明しましょう。F1000Researchには論文の採否を決める外部編集者はいません。剽窃や倫理規定、コミュニティのガイドライン、基礎データのFAIR原則に沿っているかなどについて、客観的に厳しくチェックするだけです。従来型の論文から、ソフトウェア・ツール、データ記録、方法論研究まで、幅広い成果物の出版を推奨しています。そして、査読過程は完全にオープンで、査読者の名前が公表されますし、著者は査読への回答をいつ、どのように行うのか、新たなバージョンへ改稿するかを決めることができます。論文の出版が最終段階になるべきではありません。著者は納得がいくまで何度も自分の論文を改稿することができ、完成稿とした後でも、もし望めばまた戻ってきてアップデートすることもできる。つねに進化し続ける、生きた出版モデルなのです。

私たちは、研究が出版され、評価される仕組みにパラダイム・シフトをもたらそうとしています。専門家によるピアレビューもふくめてすべての重要な情報へ読者がアクセスできるようにし、その研究に価値があるかどうかを読者自身に判断してもらいたいのです。

筑波大学との提携

筑波大学人文社会系の池田潤教授とチームの方々にお会いして、F1000Researchと同じヴィジョンをもっていることが分かりました。研究評価システムを変えること、特に、いかに人文社会学にオープンリサーチの概念を導入するかについて非常に熱心に考えておられます。私たちも生命科学から始まり、今では人文社会学の分野に取り組んでいる最中です。目標達成のために協力できるだろうと気づいたのです。

現在の研究のエコシステムは非常に複雑です。研究活動から研究成果の伝達、研究者の評価・昇進・テニュアの獲得、大学ランキングなど、すべてが絡み合っています。全体を変えることなくひとつの側面のみを変えることは不可能です。これに関しては、組織とその資金提供者の影響力が最も大きいでしょう。しかし残念ながら、誰もが自分が行動を起こすのではなく、他の誰かが動き出すのを待っているようにみえます。

だからこそ、私たちは近年、世界中の多くの名だたる研究機関と提携して、それらの機関に所属する研究者のためにオープンリサーチ出版のソリューションを提供しているのです。たとえば、ウェルカム財団のWellcome Open Researchやビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団のGates Open Researchなどの運営にくわえて、最近ではEUの研究プログラム「Horizon 2020」で助成を受けた参加者のためのOpen Research Europeに携わっています。筑波大学は、この大胆な第一歩を踏み出した研究機関のひとつなのです。今回のパートナーシップやこれに関連する取り組みにより、日本や世界でもっと多くの大学がオープンサイエンス・ムーブメントに参加することを期待しています。

筑波大学のために開発したプラットフォームでユニークな点は、研究者が日本語で研究を出版できるところです。当初、多言語サービスは私たちのビジョンにはありませんでしたが、筑波大学の人文学系の研究者からの強い要望がありました。彼らは人文学や社会科学の研究成果を日本語で出版し、それらが世界規模の研究データベースにインデックスされ、誰もが研究成果にアクセスできるようになることを望んでいました。多言語での出版は質の担保という観点からは非常に難しい要望で、だからこそ他の大手出版社がやりたがらないことなのだと思います。非常に複雑で、技術的にも簡単ではありません。しかし私たちは小さな会社で、より迅速な判断が可能です。「彼らにとってそんなに重大なことなら、トライしてみようじゃないか」という思いに至ったのです。

私たちと筑波大学の取り組みはアジアやそれ以外の国々から大きな注目を集めています。私たちはいま、より広い視野に立って多言語出版の可能性を見つめています。これは、学術出版を学術コミュニティのニーズと合致させる、というF1000の信念にも合っています。

このような取り組みにより、研究機関や資金提供者、その他の関係者が、出版プロセスについてより大きな発言権をもてるようになると思います。私たちは、研究エコシステムの主役たちと共働して、彼らがオープンリサーチへと移行できるようサポートしたいと思っています。共に取り組むことで、従来の学術出版の課題を観察し、理解し、解決したいのです。

Taylor & Francisによる買収のシナジー

一方で私たちはF1000の会社規模ではヴィテックと私が思い描いたインパクトを起こせない、と思い始めていました。2020年の始めにTaylor & FrancisによるF1000Researchの買収が成立したことで、私たちのヴィジョンを実現するためのサポートとリソース、そして専門知識を手に入れることができました。とても感激しています。

Taylor & FrancisのCEO、アニー・キャラナンをはじめとする経営陣はオープンリサーチに注目し、システムを変えようと尽力しています。また、Taylor & Francisは人文社会科学分野の出版に強いRoutledgeも擁しており、すでに我々とのシナジーが生まれています。

私たちがTaylor & Francisグループに参加して11か月になります。このような大企業が、業界が進むべき方向としてオープンリサーチを見据えている──その一員になれて、本当に刺激的です。

私たちのチームは今、Taylor & Francisがオープンリサーチ出版の可能性を模索するサポートをしています。我々の取り組みが他の出版社にとって良い先例となるよう望んでいます。他の出版社と協力できれば、ずっと速く仕組みを変えることができますから。F1000Researchは、この出版モデルが上手く機能することを示してきましたし、実際にウェルカム財団やゲイツ財団などの多くの研究資金を提供する財団が我々のシステムを採用し、メリットを得ています。いまこそ、出版社と研究機関が手をとり合って本当の変化を起こすときです。

未来を見つめる──新たなソリューションはすぐそこに

私たちがもっと幅広いコミュニティとともに取り組んでいるもうひとつの領域は、研究の評価です。従来の出版モデルでは著者が投稿先のジャーナルをひとつに絞らなければなりませんが、私たちがいまやろうとしているのはそのモデルからの脱却です。同時に既存のジャーナルが財団が独自で持つ出版プラットフォームに取って変わることが望ましいわけでもありません。多くの研究は複数の財団や公的機関から出資を受けているのにもかかわらず、著者は論文をそのうちのどの機関が持つプラットフォームで出版するかを選ばなければならなくなるからです。そこで、私たちはその2つの問題を解決する中間的なソリューションとして、論文をオープンアクセスで出版でき、かつ従来のジャーナルのような査読や認知、引用を保証する仕組みをつくろうとしています。

今まさに様々な利害関係者の代表とともに、そのような中心的なプラットフォームづくりに取り組んでいるところです。これが実現すれば、著者がどこに出版すべきかで悩む問題はなくなるでしょう。このプラットフォームが出版社と出資者、学術コミュニティ、社会を結びつけるひとつの場所となり、そこでは著者がさまざまなサービスを自由に選んで、自分の研究成果を出版し、オープンな査読を受けられるようになります。

このモデルを成功させるためには、出版と査読の過程を、研究成果のキュレーションや評価と切り離すことが必須だと考えています。想像してみてください。研究者がこのセントラル・プラットフォームに論文を投稿し、その中にあるサービスを選んで査読を受けます。その後、複数のグループ(ジャーナルの編集者や学術団体など)がその論文を読んで、重要度やインパクトの点で各自の評価基準に達するか判定し、その論文のクオリティを保証するバッジを与えるのです──レストランの評価で様々な観点から星をつけるようなものですね。そして時間の経過とともに、論文はより大きな地位を得ていくのです。通常論文は一度ひとつの媒体で出版されると論文の評価がその媒体の価値に依存してしまいますが、この仕組みではその問題を解決できます。

また、研究論文に限らず様々な種類の研究成果を出版できるようにしようと取り組んでいます。どのような成果物であれ、最も価値のある形式で出版できるようにすべきだと常に考えているからです。査読を必要とせず(あるいは別のタイプの査読を必要とし)、コミュニティにとって価値があるのに、シェアや引用、インパクトの追跡が困難な研究成果もたくさんあります。たとえば、白書や技術報告書、教材、学会発表のポスターやスライドなどです。これらの成果物を出版することで、そのインパクトを追跡し、その成果が他から引用されることも可能になります。成果が追跡可能なものとなれば、どのような研究成果も研究者の評価に反映できるでしょう。


レベッカ・ローレンス(Rebecca Lawrence)プロフィール
F1000Research社 マネージング・ディレクター
ウェールズ大学(カーディフ)にて薬学の学位を得て、ノッティンガム大学で心血管薬理学の博士号を取得。その後エルゼビア社に入社し、Drug Discovery Todayグループで出版物と新製品を統括した。Current BioData社での編集ディレクターを経て、2009年にF1000社へ入社。F1000Posters(ポスターとスライドのためのオープンアクセス・プラットフォーム)を立ち上げ、外部提携先の開拓および管理の責任者となる。オープンリサーチの出版プラットフォームとしてF1000Researchを2013年に立ち上げる。欧州委員会にオープンリサーチ政策について助言を与えるOpen Science Policy Platformのメンバーとして活動。また、サンフランシスコ研究評価宣言(DORA)の諮問委員会のメンバーも務める。


雑誌「ScienceTalks」の「オープンパブリケーション新時代がやってきた!筑波大学とF1000Reseachによるムーブメント」より転載。

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