研究の言葉の壁がなくなる時代へ―世界の見方を変えるアイディアで勝負する、21世紀型の知識のサーキュレーションを巻き起こせ

研究の言葉の壁がなくなる時代へ―世界の見方を変えるアイディアで勝負する、21世紀型の知識のサーキュレーションを巻き起こせ

日本語でも英語でも、言語を選ばす投稿できるオープンリサーチ出版ゲートウェイは、人文社会学の研究評価の問題をどこまで解決できるのだろうか?そう尋ねると、「この出版モデルのヴィジョンはそこに留まらず、成功すれば知識のサーキュレーションを組み替える革命になるかもしれない」、と言語学者であり筑波大学の人文社会系の系長を務める青木三郎教授は語る。英語偏重の文化を覆し、言葉の壁を取り払った研究の未来は訪れるのだろうか?

「人文社会学系不要論」まで言われる時代ー基礎研究全般が抱える現代のお金と評価の問題をどう解決するか?

「人文社会系なんていらない」という不要論まで数年前から言われている時代です。でも実は苦しいのは人文社会学系だけでなく、サイエンスも含めた基礎研究全般です。端的に言えば、短期的に儲からない研究が憂き目にあっているのです。

人文社会学も自然科学も本質は同じです。人文社会学は「人間の本質とはなにか」を、自然科学は「自然の本質とはなにか」を見極める学問です。この2つは、世相と関係ない時間軸で行われている長期的な研究です。応用研究では大きな予算が取れるものもあるけれど、基礎研究はどれだけがんばって歯を食いしばってもお金が取れないものが多い。今は、お金が取れない研究、直接社会の役に立たない研究は認められないという風潮があります。

さらに今の人文社会学はサイエンスと同じ指標では業績評価ができません。サイエンスでは論文指標で定量的に評価することがある程度可能なのに対して、人文社会学系の研究はその土俵に乗ることができないのです。同じ評価軸で勝負したら負けてしまうし、負け続けると世の中全体が「もうこんな学問いらないよね」と言い出してしまう。良識があって俯瞰的な視野を持っているリーダーは、研究を量でなく本質的なクオリティで見ようと努力しています。しかし大学ランキングも然りですが、今の研究者と大学の評価の方法は科学技術の発想が中心となっているのがもう厳然たる事実なので、人文社会学が不利益を余儀なくされるのは仕方がないのです。

僕ら人文社会学系の研究者は、21世紀はそういう世界であるという現実を認識して、研究発表のスタイルを変えていかなければいけないところまで来ています。苦しいことですが、仕方がありません。この文脈からするとF1000Researchは全分野を同一規格の土俵に乗せられるという意味では画期的だと思います。

「アイディア勝負の時代」到来?ーF1000Researchは全く新しい知識のサーキュレーション・プラットフォーム

F1000Researchの一番面白いところは、ジャーナルじゃないってことなんです。もっと広い意味での知識のサーキュレーション・プラットフォームなんです。知識を共有する方法が今までの出版の考え方と全く違う。特に人文系社会科学分野の伝統的な方法とは真逆です。真逆の2つをくっつけるのは非常に危険なことですが、その危ない部分に可能性があります。

人文社会学の研究成果は、伝統的には著書です。一生でどれだけ本を書けるか、死ぬ前に全集が出せるか、という世界です。論文出版も重要ですが、人社系にはNatureやScienceのような有名雑誌はなく、発信力の弱い小規模の出版媒体がほとんどです。サイエンスでは研究成果をなるべくはやく発表して多くの人に共有し、それを元に他の研究者が多くの追従研究をして論文を発表し、そこから応用研究が発展して新しい技術につなげる、という大きな研究の流れがあります。人文社会学系ではその代わりに、一人の研究者が本に書いたたった一つの文章が、世の中の人の世界観を一瞬にして変えてしまうということが起こり得ます。

短期的に情報を広める勝負をしていない、という意味では人文社会学の研究の性質はF1000Researchのもつスピード感とは真逆のものです。しかし一方で、「アイディア勝負の世界」という意味では発想が同じなのです。僕たちは「これで世界が変えられるかもしれない」という知識があったら、それを雑誌の編集審査や査読を通さずすぐさま発信できるわけです。さらに研究データベースにもインデックスされる。これはある意味知識の大革命なのです。

ジャーナルはいわば専門ブティックのようなものです。読者はそのブティックを信用して論文を買う。著者は自分の論文はこのお店に合うので置いてくださいと頼みにいく。専門ブティックにはそれぞれルールやしきたり、そして格調がありますから、審査を受けて「これはうちのブランドにあうね」という論文は採用するし、そうでないものはリジェクトするわけです。

でも、F1000Researchは「とにかくどんな論文でも持って来てください」と言うわけです。審査がない、まさに国境も、言語も、分野の壁をとっぱらった、純粋な知識共有のための場所をつくった。その場所では、もう研究者は作品で勝負するしかないわけです。作品をそのまま何の審査もせず世に発表して、見た人の多くが「これはいいものだね」と認めてくれれば、そこに価値が生まれる。権威ある専門ブティックが選んだ論文だからすごいのではなくて、作品自体がいいものであって始めて評価がついてくる。これは、すごいことです。評価するのはジャーナルではなく、読者であって、オープンアクセスですからその読者は研究者である必要もなく、誰でもありうるわけです。

 

 

「英語で出版しなければ業績として認められない」は時代の遺物へー自動翻訳技術で、言葉の壁がなくなる時代がやってくる

自然科学の研究者は英語論文を書いて査読付きのジャーナルに投稿して採択され、国際的に認められたお墨付きをもらってはじめて評価されます。この基準が分野を超えて研究全体の基準になりつつある今は、日本語で論文を書くことがほとんどである人文科学系は非常にハンディがあります。

日本史や日本文化、古典の研究者はまず英語で論文を書くなんて考えないし、海外から留学生が来たらむしろ日本語で書くことを教えるわけです。日本文化の研究者の中にはマインドチェンジして、日本の文化を世界の人類の共有財にするために英語で書かなければならないと基準を変える人も出てきました。 ところが、F1000Researchは、「いや、日本語で出版していいよ」と言うわけです。言語にはこだわらず、良質のコンテンツを発信していくという設計なのです。

最近は自動翻訳技術の発達がめざましくて、論文でもかなりの精度で瞬時に翻訳してくれます。僕の専門はフランス語を中心とした言語学ですから、論文はフランス語で書きますが、うちの研究室にはネパール、ベトナム、台湾、中国、アメリカといろいろな国から留学生がきていて自分の母国語でレポートを書かせています。例えばベトナム人だったらベトナム語で書かせるんです。慣れない英語で書くより言いたいことをちゃんと言えるいいレポートになる。僕はそれを翻訳ソフトにかけて日本語で読んで、「君が言いたいのはこう言うことだね」と確認しながら英語で授業をする、といううことをやっているんです。

何が言いたいかと言うと、言葉の壁は、もう少しでなくなる時代が来ると思います。その時代が来ると、日本人なのに英語で書かなければいけない、フランス人留学生だから日本語で書かなければいけないといった言葉のバリアがなくなると思うんです。F1000Researchに出す論文が日本語でも、抄録やキーワードだけ英語にして出したら、日本語が読めない人にも引っかかるし、発見した人は自動翻訳で内容がわかるようになる。

言葉ではなく、コンテンツなんです。F1000Researchがどこまでのヴィジョンを持っているかはわかりませんが、プラットフォームに自動翻訳の仕組みが搭載されて、中国語でも、フランス語でも、ドイツ語でも、全ての言語で論文が投稿できて、それを誰でも自分の好きな言語で読み内容を享受することができたらこれは最強ですよね。

 

プラットフォームは入れ物にすぎないーコンテンツの質を担保し、価値を生み出すのは研究者の仕事である

F1000Researchの試みが本当にうまく行くかどうか、評価されるのはこれからです。そしてその評価を決めるのは、投稿された論文の中身だと思う。紀要に出すような論文をちょっと出してみるというのではダメなんです。そういうマインドセットだと本来の目的を達成しません。口で言うのは簡単だけれど、現場の先生方にこのヴィジョンを理解してもらって動きを変えてもらうのは相当大変なチャレンジです。それは使う側の研究者にかかっています。

プラットフォームはあくまで入れものに過ぎません。どれだけの数と質を担保できるか。価値を作っていくのはそこに投稿する研究者でありコンテンツです。自由度が高いからこそ、うまくいったらすごい価値のあるものになる、それがF1000Researchの魅力だと思います。大学としては1人、5人、10人と学内の利用者を増やして、その面白さを実感してもらうことが最初にやるべきことだと思います。いつかそれが1つの大きな流れになれば、筑波大学でこのプラットフォームを使った学生が大学院生になり、研究者になり、学外の人たちにこの新しい知識の共有の仕方を伝えて行ってくれると思うんです。結果が出てきたら、他大学にもアウトカムを紹介して、それが大きな流れになって知識のサーキュレーションが長期的に変わっていくことを期待します。

 


青木三郎氏プロフィール
筑波大学 人文社会系系長
専門は言語学、フランス語学、意味論。フランス国立ブザンソン大学文学部言語学科を卒業後、1987年にパリ第7大学で言語学博士を取得。現在筑波大学人文社会系系長をおよび地球規模課題学位プログラムリーダーを務める。


雑誌「ScienceTalks」の「オープンパブリケーション新時代がやってきた!筑波大学とF1000Reseachによるムーブメント」より転載。

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