[研究+教育] × [情熱+狂気]=∞ [ムゲンダイ](2)

[研究+教育] × [情熱+狂気]=∞ [ムゲンダイ](2)

Science Talks LIVE、第3回のトークゲストは京都大学・高等教育研究開発推進センター長の飯吉透氏。研究者にとって教育とは、研究時間を奪う厄介者――とは限りません。最先端の研究者こそ、 最新のプラットフォームを使って教育に貢献し、そこで得た知見を研究や人脈作りの訳に立てています。アメリカを含む複数の事例を交えながら、研究者と教育の上手な付き合い方について、また、日本の教育を取り巻く問題についてもお話をいただきました。

教育イノベーション vs 意識改革: 文化と文明、人を大きく変えるのは…?

飯吉 今日はテクノロジーのお話もしますが、まずはサイエンティストの皆さんに対して。ここにも居られると思うんですが、言うまでもなくモラルというか、何のためにやっておられるのかというのが大事です。フォン・ブラウンというアメリカ、NASAでアポロ計画とかサターンロケットとかそういうものをどんどん作った技術者がいるんですけれども、この人は元々ドイツ人で、第2次大戦中にはドイツでV-2ロケットというミサイルを作っていたんですね。イギリスにかなりの数、何百発か打ち込んで、精度は悪かったものの多少のダメージは与えたと。後になって、何であなたはそもそも最初兵器を作っていたんですかと彼に尋ねた人がいて、彼は「ロケットは完璧に作動したが、間違った惑星に着地しただけです」と言ったという話があります。彼にチョイスはなかったんだと思いますが、科学者というものは得てしてそういう立場に置かれてしまうという時に、その言いわけで良いんだろうかとも思う。
それからイノベーションというのもよく言われますね、教育イノベーション。日本でも色々苦労をして、電子黒板やタブレットを導入しようとか、昔ならパソコンを入れてみようとか。その度にこれで何か教育が良くなるんじゃないかという幻想がありましたが、本質的に良い方に変わるのかどうかはわかりません。テクノロジーや教え方で成績が伸びるという話もあれば、そういうことを全くしなくても伸びるという話もあります。アメリカの話ですが、頑張ったらお金をあげるよと小学生に言ってみたら、ほとんど全員成績が上がったんですね。それで良いのかとは思うんですが、やる気さえあれば良い教え方もテクノロジーもいらないという話ですよね。現金な話だなあと笑えますけれども、じゃあ何で大学に行くのかというと、良いところに就職したいからだと。高卒では無理だから、大学に行っている。良い生活、安定した生活をしたいということであって、小学生の子どもに500円をあげるのと、インセンティブとしてはあまり変わっていない部分もあるかもしれない。もちろん研究をしたいとか、社会に協力したいとかいうのもありますが。
何を言いたいのかと言うと、教育イノベーションには文明の側面と文化の側面があるんですね。文明というのはテクノロジーとか、より良い効率といったことですが、文化の方で間違えて、さっきのフォン・ブラウンの話ではないですけれども、良くない方向に行くことがある。技術的に良いものがあっても、何も良いことがなかった、ということにもなり得ます。文明と文化のバランスが大事だということですね。教育だけでなく、研究でも大事です。イノベーション、イコール発明とか、技術革新とかではなくて、それがどういう風に文化的に使われて、我々の生活要素がどう変わるのかが大事だと。
欧米的な尺度ですが、J. M. Unsworthというアメリカの研究者の方が仰っていることで、「Eの時代」「Oの時代」というのがあります。1990年代、ネットが出てきた頃がEの時代です。eコマース、eビジネス、eパブリッシュ、色々なものがE化しました。その次の2000年代がOの時代です。今日これからお話ししますが、MITがオープンコースウェアというのを始めたのが21世紀最初の年、2001年です。この辺りからオープン花盛りで、オープンソース、オープンシステム、オープンスタンダード、オープンアクセス、オープンエデュケーション、オープンリサーチ。企業でもオープンイノベーションということで企画などを全部公開して、みんなが使えるようにしました。マイクロソフトまでがオープンAPIとかオープンプラットフォームと言いだして、その辺りからチーム化した感じもあります。
ここまでがUnsworth先生がおっしゃったことで、この先は僕が勝手にCというのを作りました。これは便利です。Collaboration、Coordination、Cooperation、それからCollectivityというのは集合知ですね、Community、Commons、Cloud。この辺りもそうです。E、Oというベースがあって、Cに行った。意地悪な人たちが次は何だ? と言うので、また考えて、今度はPの時代というのを思いつきました。この次に起こるのはこんなことだろうと言われていることをPを中心にまとめてみただけなんですが、Personalization、Preference、Prefixion。Activeだけではもうダメで、先を予測しながら、予見しながら進むということでProject、Problem。研究でも教育でも、こういうことを考えて行かなければいけない。大統領選でも話題になったPrivacyの問題もあります。
先程の文明と文化の話じゃないですが、テクノロジーは透明化していきます。僕が良いなと思ったのは電気釜の話ですね、1955年から60年ごろに初めて登場したときには、電気がつく、電気で動くというだけで凄かった。それからタイマーがついて、夜セットしておくと朝には炊けているようになった。それだけで凄かった。そのうちマイコンとかいろいろなものがつくようになって、一般の人間にはわけが分からなくなってきた。何でこんなにマニュアルが分厚くなったんだろう、と思ったりしましたよね。大概のものが、こういう過程を経てきています。今では大分安定して、ボタンに書いてある通りにすれば餅がつけるとか、簡単にいろいろできるものが出ている。行きつくところまで行きついて、今度は材質とかそういうところに興味が行っています。南部鉄で作ってますとか、炭素何とかですとかいうわけですね。そうやって何を目指しているかと言うと、昔ながらの、薪で炊いたお米の美味しさを再現しようみたいな。
最近の流行りはアクティブラーニングですね。文科省が大学をビシビシ鞭で打って、おカネで釣りながらやっている。文科省たたきがここ2、3日ニュースで流れていますが、文科省には仲間もいますし、文科省を敵と思っているわけではないです。ただ、政策が右に行け、左に行けと非常に安定しない。日本の公共教育は、こういう教育政策に振り回されることが多いわけです。
そんな中、先生たちは子どもたちにアクティブになれと言っている。上から目線で言うことも、それもどうかなと思うんですけれども、ただそうやって大学生がアクティブになったと仮にしましょう。何が待っているかと言うと、4年後に就活をしなければいけない。これはもう青春の墓場のようなものですよね。青春の喪服と僕は読んでるけど、ブラックスーツに身を包んで固めて、何を考えるかというと、安定した報酬とか、休日の確保とか、研修の充実とか福利厚生とかですよね。50歳とか60歳くらいで考えればいいじゃないかというようなことを、可哀想に18くらいで皆考えなければいけないんです。
積極的に意見を言える環境づくり、そういう能力の優先度は残念ながら下位の方に来てしまっている。せっかくアクティブにさせておいてこれはないんじゃないのかという話ですよね。ちょっと嫌味な言い方になりますけど、今の日本が作っているのは規格野菜なんです。形の揃ったトマトみたいな。これは不自然ですよね。一方で規格外野菜というのを考えてみましょう。規格外野菜というのはジュースなどの加工品に使われるほかは、多くは廃棄されるという悲しい運命にあります。まあ規格野菜の方が便利ですよね。箱詰めも便利、機械に通して色々加工するにも便利。ただ例えばトマトだって、本当はいろんな種類があったり、いろんな形、いろんな味があって、こんな料理にはこんなトマトが向いていますという相性だってあるんですね。だから、就活の時に人間を規格トマトのように扱って本当に良いんだろうかと。
別に京大出身ではなくただ勤めているだけなので、そうなのかなという印象を持っているくらいでそれほど熱を籠めて推しているわけではないんですが、思考力が高い、変わり者が多いんですね。普段はコミュニケーション力がないというのが、京大卒業生のイメージらしいです。言っていることはよく分からないんだけど、何かすごくピンチに陥った時に、あそこに京大の人がおったなということで何か聞いてみると、奇想天外なことを言いだしてそれで結構何とかなるんじゃないかと思わせるという、それだけの話らしいんですが、そういう思考力がある。そういう人材がこれからは必要になるかなと期待しているところでもあるわけですけれども。
だからやっぱり、そういう意味の規格外野菜をつくるのが例えば京大とか、大学のミッションなのかなとも思いますけれども。実際、留学に行けとか、海外武者修行をしろとか今はいろいろ言います。それで帰ってきた人たちが、就活で苦しんでいる。帰国子女であったり、それからアメリカに留学して帰ってきたりすると、向こうの態度や習慣が身についてきて、そうすると例えばact too much、インタビューでお前笑いすぎだと言って怒られるとか、それからあなたはうちの会社にはオーバースペックですねと言われる。オーバースペックって何だろうと、そもそもトマトですらない、機械のような扱いを受けて、あんたみたいな700馬力の人間はうちには要りませんからお引き取りくださいと。僕からすれば700馬力の人間が同じ給料で雇えるんだったらこれはお買い得だと思うんですけれども、隣のコンビニに行くのにジェット機はいらないよね、みたいなそういう話になるんですよね。企業にはまず、ジェット機を手に入れて何をするのかという風に考えて貰いたいです。そうしないと企業は元気にならないですよね。
それからこういう話もあります。歌舞伎のような日本の伝統芸能だって最近はいろんなものを取り入れて今は変革されているのに、企業は未だに、作法とか儀式的なもの、儀礼的なものが非常に多い。腕を組むなとか足を組むなとか、いろんなことを言われるんですね。みんな泣いてしまって、結局日本企業に就職するのはやめる、外資系に行ってしまう、そういうことになります。
僕は1964年生まれですが、中学生の頃、YMOというものが流行ったんですね。Yellow Magic Orchestraです。彼らのアルバムに『公的抑圧』というのがありましたけれども、こういうものが結構国を支配しているんだと思います。僕がメンターと仰いでいる方で、直接師事したことはないんですが、お友達というか先輩というかお付き合いさせていただいている黒川(清)先生という方がいらっしゃるんですが。彼もアメリカに20年くらいいて、UCLAでテニュアを取って、医学部の教授になられたんですね。お名前を出すことについてご許可はいただいてないんですが、黒川先生なら多分許していただけると思いますけれども。それで帰国されたら、東大で助教授(当時)という非常に失礼な待遇で。UCLAの教授と東大の助教授が同じなのかという。大変失礼な待遇を我慢して日本に戻って来られて、その後は私学に移って、日本学術会議の会長になったりもされている大変立派な方なんですけれども、最近では原発の国家事故調の、委員長も今度やられることになっています。この黒川先生が書かれた本で『規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす』というのが2016年に出ていまして、この本は是非読んでください。さっきお話しした規格トマトや、公的抑圧のようなことは、またこのアメリカ帰りの奴が言いたいことを言ってるだけだと思われるかもしれないですが、これを読んでいただければ、中で何が起こったかということが全部書いてあります。そもそも事故調の委員長を引き受けられたときにも、残りの委員は全部決まっていたそうです。しかも考えさせてほしいと言ったのに、その日の夕方には引き受けるという記事が日本のメジャー誌に全部流れていたりだとか、はめられていった様子がよく分かってきます。こういういろんな嫌がらせがあって、ただ黒川先生の素晴らしいのは、そういうものに負けず、やり抜くというところ。その結果どうなったかは読んでください。
とにかく日本という国は、集団の縛りが非常にきつい。その中で個というものは育たないんですね。今日はオープンエデュケーションの話をということですけれども。オープンに学ぶのが良い世界というのは、アクティブに学ぶことがアクティブなセーフティネットとして機能したり、挽回のチャンスがあったり、いろんなことに新しくチャレンジできる素地があって初めて、こういうものをやろうということになるのではないか。こういうものがない社会で、オープンだとかアクティブだとか言っても無意味です。少なくとも手応えが感じられないです。自己満足で終わるんだったらいいですけど。
放送大学を見てください。実は正月明け、今年に入って最初の仕事で放送大学に呼ばれて、学生さんたちに生でお会いしたんですけども、平均年齢60歳で、すごくみんな意欲があって、賢くて。ただもうみんなほとんど上がってしまってますよね、人生をね。ここから何か転職しよう、新しいスキルを身につけようということではないんですね。日本でオープンに学ぶとか、生涯学習をするというのはどうしてもそういう風になってしまう。
大学入試は変わろうとしています。例えば京大では『意欲買います』と。いくらで買ってくれるんだ、という話ではありますけれども、このポスターを自分の机の周りに貼って、毎日見て意を強くして特色入試で入ってきた学生もいるらしいので、こだわっていきたいなとは思います。そんなポスターで誰でもテンションがあがるんだったら、そんなに苦労しなくてもいいんじゃないかとも思いますけれども。

次記事を読む≫

このテーマの記事一覧

  1. 何が問題? グローバル化の波に乗り切れない日本の大学
  2. 教育イノベーション vs 意識改革: 文化と文明、人を大きく変えるのは…?
  3. 日本でも端緒についたオープンコースウェア: 何十万種類の教材が全て無料! その1
  4. 日本でも端緒についたオープンコースウェア: 何十万種類の教材が全て無料! その2
  5. 日本の大学は水族館のイワシ水槽? 活性化と淘汰の分かれ道
  6. フロアディスカッション: 自由に学び、自由に生きていくために その1
  7. フロアディスカッション: 自由に学び、自由に生きていくために その2
  8. フロアディスカッション: 自由に学び、自由に生きていくために その3

Related post

未知の物質 ダークマターを宇宙ではなく身の回りで見つけたい

未知の物質 ダークマターを宇宙ではなく身の回りで見つけたい

この広大な宇宙は多くの謎に包まれています。その未知の存在の1つが『ダークマター』であり、銀河の回転速度を観測した結果などから、その存在のみが証明されています。安逹先生は宇宙でもなく、身近な場所で、そして、加速器すら使わずにダークマターを見ようとしているのです。いったいどのようにしてダークマターを見つけるのでしょうか。ぜひ、その驚くべき手法とアイデアを動画で確認してみてください。
チベットの研究を通して見えてきたもの

チベットの研究を通して見えてきたもの

自分自身のしたいことを貫いて進んできた井内先生だからこそ見える世界、今後、チベットの研究をより多くの方に知っていただく活動にもたくさん力を入れていくそうです。これまで歴史の研究について、そして、チベットのことあまり知らないという人にもぜひとも見ていただきたい内容です。
チベット史の空白を明らかにしたい 日本のチベット研究者

チベット史の空白を明らかにしたい 日本のチベット研究者

0世紀から13世紀頃までのチベットでは、サンスクリット語からチベット語に膨大な数の経典が翻訳され、様々なチベット独自の宗派が成立したことから「チベットのルネッサンス」と呼ばれますが、この時代について書かれている同時代史料がほとんどありません。この「チベット史の空白」を明らかにしようと、日々研究されている京都大学白眉センター特定准教授の井内真帆先生にお話を伺っていきます。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *