[研究+教育] × [情熱+狂気]=∞ [ムゲンダイ](1)
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- April 23, 2018
Science Talks LIVE、第3回のトークゲストは京都大学・高等教育研究開発推進センター長の飯吉透氏。研究者にとって教育とは、研究時間を奪う厄介者――とは限りません。最先端の研究者こそ、 最新のプラットフォームを使って教育に貢献し、そこで得た知見を研究や人脈作りの訳に立てています。アメリカを含む複数の事例を交えながら、研究者と教育の上手な付き合い方について、また、日本の教育を取り巻く問題についてもお話をいただきました。
湯浅 本日は雪も降るかもしれないという寒い中、また金曜日というお忙しいところ、Science Talks LIVEにお越しいただきありがとうございます。今日のScience Talks LIVEは、京都大学の高等教育研究開発推進センターの飯吉先生をお招きして、主に教育に関してお話をしていただきたいと思っております。最近日本ではないがしろにされがちになっていますが、教育というものも、研究の根源になるものであって必要なものなんじゃないかと。我々としては研究だけに偏るのではなくて、今日はすごく教育に焦点を当てて、教育と研究を絡めたようなお話をお伺いしたいというところです。NAIST(奈良先端科学技術大学院大学)の駒井先生にはモデレーターとして、飯吉先生のお話に対する補足であるとか、会場の皆さんからのご質問なども伺いながら、お話を展開していただきたいと思っております。
簡単に飯吉先生のプロフィールをこちらでご紹介させていただきます。先生は約20年、私の人生の半分くらいというかなり長い間アメリカにいらっしゃったとのことなんですが、初めは日本の国際基督教大学で学ばれて、その後にアメリカのフロリダ州立大学で博士号を取られました。皆さんもご存知のMITでも長く活躍された先生です。本日はここにも出ていますが、『オープンエデュケーションを通じた、蛸壺化しないスマートな研究者の生き方と生涯学習を考える』というテーマでお話をしていただきたいと思います。それでは早速ですが、よろしくお願いいたします。
何が問題? グローバル化の波に乗り切れない日本の大学
飯吉 皆さん、こんばんは。金曜日の夜に、しかも参加費を払ってイベントにいらっしゃる方々というのは、覚悟と意気込みがすごいですね。以前にも1度こういうことがありまして、4年くらい前に六本木のアカデミーヒルズというところでお話をさせていただいて、こんな時間に人が来るのかなあ、来ても寝ちゃうんじゃないかなあと思うような時間だったんですが満員だったんですね。しかも目がギラギラしてて。大変楽しかったので、今日もそんな感じで、盛り上がっていければと思います。
ところで今日という日(編集註:2017年1月20日、トランプ米大統領の就任日)は、あと数時間で、地獄のような、世界の終わりの始まりのような就任式がありますね。皆さん興味はあるけどあまり期待はしていない、そういう感じかもしれないですけれども。そんな風に世界がクローズドな方向に向かっている中で、オープンな方へ向かうためには心をもう少し、引き締めなければいけないんだと思います。
今日のタイトル、『スマートな研究者の生き方』とあります。これを見て、「スマートな研究者」がどんなものかわからなくて、まずいなと思ってちょっと「スマート」というのを辞書で引いてみたら、皆さんが思っているだろうスマートの意味とは違うかもしれませんが良さそうなのがあって、「無礼、生意気、ひりひりするような」。今日はこの辺りで行こうと思います。効率の良い研究者とかそういうのを思い描いておられるんだったら真逆な感じで、ある意味無礼な研究者の見本のような形で今日はやらせて頂こうと思います。
世界の中での日本の大学、日本の研究の立ち位置を最初に考えてみます。各国のごとの研究予算を比較してみると、中国には抜かれましたが、日本もそんなに少なくはない。まだまだ捨てたもんではないような気もしてくるんですが。人口1人あたりに直すと、色々問題が見えてくる。日本の人口1人当たりの研究費は7円なんですね、世界で39位です。少子化で日本の人口が減ってくると順位が上がってくるのかなという期待感はありますが、若い人がどんどん減ってくるので今度はそういう、研究をやる人がいなくなってくるんじゃないか、という懸念がありますね。
それから、世界の大学や高等期間はご存知の通りグローバル化していますが、それについてここ1~2か月面白い話を聴くんですね。カナダとオーストラリアの大学の志願者数が今年は激増している、と。皆さんも何故だかは分かると思います。あと数時間後に起こることと関係しているわけですが、アメリカ人と言ってもいろいろですからね、イスラム教の人もいるし、有色人種の人もいて、こういう人たちがカナダとかオーストラリアの大学に逃げようとしている。こういうところを見ても国境の希薄化が如実になっています。
日本も何年か前に、世界のトップ100大学に10校以上入れようという無茶な目標を掲げました。ところがその頃2校入っていたのが落ちそうだという状態になっている。厳しい。平成20年でしたか、9年前ですね。今でも余り状況は変わっていないということですね。
日本の大学が生き残るための課題は、やっぱりグローバルの中にうまく入って行けないということが一つ大きいです。言葉の問題も、経済の問題もあります。日本の中だけでみると少子化があって、大学の定員がどんどん割れてきている、それに対する生き残りということがみんな念頭にあるんですけれども、そもそも日本も、大学も、研究者も世界で生き残っていけるのか、その辺りを考えて行かなくてはいけない。泥縄的な対策はいろいろ行われていて、例えば今は大学入試のシーズンですが、今はウェブサイトで希望の学部をクリックして志願できますよね。クリック、クリック、クリックで3学部以上クリックすると何割引き、というような阿漕なこともやっています。そこでお金を儲けようとしているんですね、大学が。途中で中退してしまう学生も増えていますから。
ただ、これに限らず、大学全体のビジネスモデルが今かなりブラックになりつつあるように思います。具体的な名前は言いませんが、関西のとある大学では電車の中に週刊誌のつり広告のような広告を貼って学生さんを呼ぼうとしています。大学をレジャーランド化させようとしているようです。ただ実際には中退がなかなか多いという話です。大学生が求めているのはレジャーランドではないんですね。そこに気づいて、辞めてしまうんです。
教育開国というものを、大学はしていかなくてはいけません。アメリカにいた時から日本に呼んでいただいて、来るたびにそういうお話をしてきましたが、言うのとやるのはえらい違いで、実際に日本の大学に勤めるようになってみると、とても大変だと思うことしきりです。