「社会の役に立つ研究者」になる方法ってなんだ?(2)
- Science Talks LIVEイベント報告日本語記事
- December 18, 2017
Science Talks LIVE、第2回のトークゲストは国立情報学研究所の宇野毅明氏。すぐに産業化の見込めない分野の研究者は社会の役には立てないのか? 科学と企業、社会が互いに手を携えて、新しいもの、価値のあるものを作って行くことができたら、それこそが「社会の役に立った」ことになるのでは? 研究者が社会で生きていく為に必要な考え方や資質を、ご自身のエピソードを交えてお話いただきました。
目の前の課題を解ける研究者=社会の役に立つ研究者?
宇野 自分に身近なことは思いつきやすいですが、やっぱりつまらないので、自分の世界を広げて行って、たまにはよく分からないところのものを考えたりして、色々やっていくわけです。それもなかなかうまく行くとは限らなくて、1つの手はパートナーを見つけること、つまり自分とは別の分野の人を見つけて、面白いネタを教えてくださいよと言ってみることなんですが、ここにもまた落とし穴があります。ありがちなのは、君と僕はこことここにいるから、間を取ってこの辺りの研究がしやすいよね、と考えて研究課題を作ってしまうケースです。こういう話はよく聞きますが、元々違う世界で生きている人が真ん中にあるもののところで寄り添っても、その真ん中の世界のことは2人ともよく知らなかったりするんです。そんなものを研究しようと思ったってうまく行くわけがない。じゃあどうしたらこういう2人が仲良く、良い研究ができるのかなと考えると、やっぱりお互いに共有できるものを見つけないといけないと思うんですね。2人とも自分の専門を持っているので、普通に考えると共有できるものなんてなさそうだし、無理矢理ひねり出そうとするとすごくつまらないものしか出てきません。こういう時は、自分の知っている専門性の高いことの抽象度を上げると良いんです。どんどん抽象化して話を広げていけば、多分、どこかで重なります。そこが2人の共通点で、そこで非常に抽象度の高い種を見つけてそこから詰めて行けば、自然に大きく育つわけです。こうやって新しいトピックを探して行くと楽しいんじゃないかと思います。
僕は比較的理論系で基礎的な研究をしているので、共同研究というと例えば企業さんが問題を持ってきて、それを僕が解きましょうみたいな形に仕上がることが多いんです。誰かが抱えている問題を、技術を持っている人が解く、共同研究の方法としてお勧めされる典型的なパターンなんですが、うまく行かない場合も多いんですね。考えてみれば当然で、僕に問題を持ってくる時点で、これは難しいなと思っているわけですよ。それまでに色々試してみて、ダメだったから僕のところに来る。そこまでの過程に明らかな誤りがあった場合は別にして、十分試して来たものを解決する別の方法がそう簡単に見つかるわけはないんです。たとえ解けたとしても、難しいものの中から解けそうな一部分だけを持ってきているだけという可能性もあって、それだと解けてもたいしたインパクトはないんです。もう1つのミスマッチは、僕の側からすると技術的に高いものを要求される方がいいんですね、その方が論文になりますから。こんな良い技術を使って、こんないいものができました、素晴らしいでしょうと言いたいわけです。でも問題を持ってきた人の側からすれば、どこにでもある簡単なものを使って解けるのが一番いいんです。
こういうミスマッチが何故起こってくるのかというと、やっぱり課題設定が良くないんですね。もやもやっとした問題意識を持った人がいて、こんなことができたらいいな、これは良くないんじゃないかなと思っているとします。そのもやもやを具体化して、こういう問題がと考えて、特定の問いにして僕に持ってくる。研究って実は、ここまでの過程が一番大事なわけです。現在の構図は、素人が一番大事なところをやっていて、その結果できた何かよく分からないものを玄人に持ってきている。例えば家を建てたいと思って、まず自分で設計図を描いて建築士のところに持って来るような感じです。順番、逆ですよね。まず建築家のところに行って、どういう家を造るべきかというコンセプトを相談してから家の設計図を描くべきです。今、学術の世界では実際やるべき順番と全く逆の順番で物事が進んでいる。役に立つ研究ができる環境になっているとは思えないわけです。役に立つ研究をしようと思ったら、やっぱり課題設定に、一番大事なところにフォーカスするというのが大事だと思います。
社会で求められることって、これは僕の感覚なんですけど、課題を設定して欲しい、あるいはこの課題って取り組む価値があるのかどうかを教えて欲しいという場合の方が多いです。こういう技術が欲しい、と言われるのは本当にスペシャルケースで、大体の場合は道に迷っているんですよね。みんな頑張って良い業績を出している、僕も何とかしたい、でも何をしたらいいか分からない。うちの会社の強みって何なんだろう、うちの持ってるデータって何の役に立つんだろう。そういうことが分からなくて、どうしたらいいか分からない。何の技術を使っていいか、何の技術を作っていいかもよく分からない。
研究の方もそうですね、どういう課題なら新しく前進させることができるのか。例えば生物の分野に情報の技術を持ち込んだら何ができるのかがよく分からない。その状態で何処をどうしたらいいのか教えて欲しいということが寧ろ多くて、逆に言えばこれができれば、凄く役に立つわけです。そう考えると研究者にとって必要なものって多分、例えばビジネスの人や研究分野が違う人がいる時、こっちの分野の人には見えていないことを見るような、深い、異なる視点から洞察する力や理論展開力、そういうものなんです。技術や知識で社会の役に立ちましょうという事よりも寧ろ頭の部分、どういう事が考えられますかということなんだと思います。
そうなると研究者に求められる資質というものも多分あるはずで、研究者として技術を持っている、知識があるというのは例えばプログラムが書けますとか、これが専門です、詳しいですとかそういうことだと思われていると思うんですが、多分こういうことは、僕が今まで話してきた研究者に求められることとはちょっと違うんですね。ギリシャ時代なんかを思い浮かべると、研究者ってなんでもかんでも色んなことを考えて、数ってこうだなとか、世の中ってこうなんだなと哲学的に考えていくような人々だったわけです。つまり研究者は、人類の英知を先に進めることが仕事で、そういう風にして考えたことで周りの人々に影響を与えるというのが本質的なタスクになる。世の中の役に立つために研究者に求められるのは、どれだけ人に影響を与える能力を持っているかということ。例えば問題発見の能力、人から何かを聞き出すインタビューの能力、プレゼンテーションの能力、コミュニケーションの能力、考える力、相手の話を理解する力、新しいものを見出すクリエイティビティ。そういうものが重要になってくると思います。
知識や技術を持っているというのは、ある意味武装していることなんですよね。研究者として研究できるか、考えられるかが先にあって、知識とかプログラムコードは単なる武器です。役に立つかどうかというのは、専門性を捨て去ったいわゆる裸の状態でもあなたは研究者たりえますか、そういうところが効いてくるんだと思います。そういうことで僕のメッセージは、役に立つ研究も立たない研究も確かにあるんですけれども、社会の役に立つ研究者というのは、人類の英知を前に進めるために、人々に影響を与える能力がある。人には見えないような問題、人には見えないようなアイディア、そういうものを見いだす能力がある。そういう人のことなんだと思います。